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数学って好き?

今日のNHKスペシャルが奇しくも「魔性の難問 ~リーマン予想・天才たちの闘い」でした。先日やったポアンカレ予想といい、NHKはこういう学術的なことを特集してくれるので見逃せない。
もちろん、専門家から見たら穴とか抜けがあるのかもしれないが、一般的には、そもそも”リーマン予想”という言葉自体なじみがないのでこういう番組は意味があるものだと思う。
なんてたって妻の最初の反応は「破たんした?」だったもの。いや、私ももちろん知らなかったけどさ。

さてはて、いつだったか小飼弾氏が紹介していた原作結城浩の「数学ガール」(漫画版)を読んだ

数学ガール 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
結城 浩
メディアファクトリー

数学ガール 下 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
原作/結城浩・作画/日坂水柯
メディアファクトリー

元々理系である私でもちょっと笑ってしまうくらい数学オタクな「僕」を取り巻く数学と恋愛事情。
うーん、設定がマニアック過ぎて誰をターゲットにしているんだろう?やはり理系女子萌えなんだろうか。
ちなみに著者の結城さんは、Java関連の書籍も執筆されている方。うちの会社でもJavaやってる人間は普通に知っていた。

見る世界は

それにしてもこの人達は、どんな世界を見ているのか
高校時代、数学や物理を私は好きだった。あまり暗記モノが得意ではなかった私にとって、いくつかの公式を組み合わせたり、式を変形させたりすることで解くことが出来るこれらの学問は非常に魅力的なものだった。物理で得点をとるほうが他の科目で点数取るより効率(偏差値的な意味で)だったことももちろんあるんだけど。
ただ、実は高学年になってから習ったことが、元をただせば初期に習った公式に通じるなんてことがあるたびに素直に驚いた。

いつのころからか、数学はひたすらに数字ではなくて文字を扱うようになり、とてもじゃないけど身近に感じられるものではなく、ただ単に受験に必要な学問になっていった。
結局のところこれが実生活で何の役に立つのかなんて教師を含めて説明できる人なんていなくて、次第にそのものには興味を無くしてしまったのを覚えている。
ただの勉強が出来なかったことの言い訳なのだが。

本書に登場する主人公や、NHKスペシャルに登場している数学者たちはどんなことを考えているのだろうか。
きっと、私のように変な打算を考えているのではなく本書でも出てくるように”ただ好きだから”ということなのかもしれない。
“好き”も突き詰めれば、突き詰めることが出来れば…。

私の”好き”は何だろうか
考えるものではない命題ではあるかもしれないが、考え直してみるのも一つだろう。

数学は面白いか

先日読んだ小飼弾さんの弾言に紹介されていた畑村洋太郎さん著「数に強くなる」を読んだ

数に強くなる (岩波新書)
畑村 洋太郎
岩波書店
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おすすめ度の平均: 3.5

1 う~ん もう少し構成等を工夫してほしい
5 フェルミ推定の導入本としても面白い
4 子供に数(かず)に対するセンスをつけてもらうための参考書
4 数におびえないためのトレーニング
4 フェルミ推定?

私は理系で、大学では機械関連の学科に所属していたので比較的数学には慣れ親しんでいた。もちろんやっていた=好きというわけではないのだが。卒業してソフトウェアの世界に入ってからは全くといってそれらに向き合っていないので、もう完全に忘れてしまっている。微積ってなんだっけ?
本書はもちろん微積の本でもないし、数学という学問の本ではない。ただ、数学というものに対する見方を、ちょっと学校では気付かない見方を教えてくれた。

数を作る

たとえ知らなくても、作る努力をしなくてはいけない。必要な数は、見たその場で作れなくてはいけない(P71)

手持ちの材料や情報をもとに仮説としてでも、数としてあらわすことが出来るか?というのは確かに大事だ。大きいだとか小さいというような形容詞で表現されても正しく相手に伝わるとは限らない。
そのためには、数に対する感覚というものを常日頃から意識するというのは面白い話ではある。

試しに会社から最寄り駅まで歩数を数えてみたりして遊んでみた。一度歩数を数えてみて、距離感だとかそういったものを知ると、数えてなくても「あ、大体ここまでで~歩くらいだったな~」とか、「そうすると、ここまでは大体距離として~くらいかな?」ということを考えてしまうから面白い。
自分の歩幅だとか、歩くペースなんてものも分かってくるから、あれこれと楽しめそうだ。

数学は役に立ったか

数学というと、問題を解くだけであった。
算数は、どちらかというとテーマが日常である(お使いだとか三角形の大きさだとか)のに対して、数学は出てきた問題をどう使うのかがさっぱりわからなかった。結局、問題を解くために公式を覚えているだけ。
微積だとか素因数分解だとかが一体全体何の役に立つのか?ってずっと思いながら問題を解いていた。

本書で書かれている24*26のかけ算の解き方。これはとても面白いものだった。そんな風に素因数分解を使うのか・・・?ふむぅ
実は、公式だけしか教わってなかったけど、これらの式をどういう場面で使うのか。
実はこれを教えることによって数学に対する物の考え方だとかが変わってくるんじゃないだろうか?なんて思ったりもした。
結局のところ問題を見つけるまでが問題なのかもしれないな。
色々、そういった問題を探してみるのはとても面白いことなのかもしれないと思った。

サラリーマンサバイバル時代

“週末起業”の著者として有名な藤井孝一さんの「週末起業サバイバル」を読んだ

週末起業サバイバル (ちくま新書 811)
藤井 孝一
筑摩書房
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5 会社に頼らない生き方
5 それでもあなたは「週末起業」しますか?

最近、この手の”週末起業”や”副業”といった話題をよく目にする。一つは著者が6年前に出版した週末起業 (ちくま新書)による影響もあるだろうけど、やっぱり今の景気情勢によるところが一番大きいんだろう

サバイバル時代

もはや正社員といえども安心していられる時代ではないというのはまさにその通り。昨日もこんな見出しの記事が公開されている始末

ボーナス激減でローン延滞急増? 大手銀が態勢整備急ぐ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091102-00000622-san-bus_all

そんな中だからこそ、現時点での職を維持したまま続ける週末起業という考え方が受けているんだろうと思う。
私自身、何かしら副業を持っているわけではないけど、確かに会社に対して今後定年まで維持できるのか?給料は上がり続けることが出来るのか?というと、今のままでは難しいのではないだろうか?と思わずにはいられない。
少なくともそんな雰囲気が日本中に渦巻いている感はある。

どの方向性を考えるのか

週末起業で一番困るのが、何をやるのか?というネタだ。それに関しては本書でも取り上げられている

ネタはどこかに転がっているものではありません。また、部屋にこもって頭を抱えているうちに出てくるものでもありませんある日突然、降って湧いたようにひらめくものでもありません。(P123)

結局のところ、試行錯誤しながらあれこれ試してみて結果として残ったもの…という、あまり計画としてはどうよ?って感じに落ち着いている。まぁ、そんなものかもしれない。もちろん、やるときには”これで”と思ってやっているのだろうけど。
どういう方向性で?と考えるのに面白いものがある。出逢いの大学の千葉智之さんが自身の人脈ブランディング講座で取り上げている4タイプである

「マルチ・キャリアの4タイプ(前編)」
http://www.menstrend.jp/navigators/5504/4148.html

本業との相乗効果を狙うのであれば、方向性を合わせたほうがいいとは思う。副業側にも恩恵は大きいだろう。ただ、”あんまり同じことばっかりやってもなぁ”的な気持ちもあったりする。
ただ、やっぱり一番大事なのは自分が何が出来るのか?って事をちゃんと知るってことなんだろうな。
さてはて、こんな私に~何が出来るのか~?

なぜリーダーは半歩前なのか

姜尚中さん著「リーダーは半歩前を歩け」を読んだ

リーダーは半歩前を歩け (集英社新書)
姜尚中
集英社
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4 混迷の時代に
5 読書の力  文学の底力
4 姜氏青春の総決算。内容不足は否めないが、金大中氏の言葉は含蓄に富みます
3 物足りない!
5 金大中

そもそも何で半歩前なのか?
リーダーであるのならば、一歩も二歩も前を進んでいったほうがいいんじゃないのか?リーダーシップってヤツを発揮しよう!って感じじゃないの?って疑問がまず第一に思いつく

アイデンティティーが分散している以上、一つの目標に向けてすべての人を動員するのは難しい。だから、微妙に行きつ戻りつし、人々の文脈を読みながら、柔軟にリーダーシップを発揮していくのがベストだと考えたのです(P.43)
いま求められているリーダーは、「カリスマ」ではありません。十歩前を行く人でもない。たった「半歩前」なのです。(P.45)

つまり、あまり先行しすぎると周りが付いていかないということから半歩前という表現を使っているんだろう。
草食系だとかゆとりだとかあれこれ言われるようになった昨今。確かに、半歩前くらいじゃないと”ついていこう”という気になる人が少ないのかもしれない。これはこれで分かるような気もする。
ただ、一方でリーダーがそれでいいのか?半歩程度前でいいのか?といわれるとそうでもないと感じてしまう。もちろん、私が出来ているという意味ではなくだが。

そもそも、半歩前とか一歩前というのはどれくらい”前”何だろうか?
少なくとも、フォロワーがリーダーの向かう先が間違いなく”前”であると認識できる範囲でなければいけないし、到達可能であると認識できる範囲でなければいけない。
それは結局のところフォロワーによって見える範囲というものは変わってくるのであって、リーダーに要求されるのは自分が見ている”前”の中でフォロワー毎にどんな”前”を見せるのか、ということが重要なのではないかと思う。

なるほど、結局のところ最初に戻って”カリスマ”的なリーダーではなく、もう少し身近に感じれるリーダーということだろうか。
半歩前という表現を使われると多少違和感を感じるが、組織がある特定のカリスマによってぐいぐい引っ張っていく形態から変わっていくという内容。
あまり、社内に”カリスマ”的な人がいないので、私にはどうもイマイチピンとこないのが正直なところである。
カリスマでも何でもない私には、私に出来うるリーダーを目指すことになるしかないのだから。

人生を上昇気流に?  「フォーカル・ポイント」

レバレッジシリーズでおなじみの本田直之氏が監訳した「フォーカル・ポイント」を読んだ

フォーカル・ポイント
フォーカル・ポイント

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ブライアン・トレーシー
ディスカヴァー・トゥエンティワン
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生産性の向上に対して数々の著作を持つ本田氏が”決定的に大きな影響を与えた1冊”と書かれた本書。
確かにそれにふさわしい内容だった

戦略的な人生の設計

実際のところ、書かれている内容に関しては”すごい目新しい”と思う内容ばかりであったわけではありません。勝間和代氏の「史上最強の人生戦略マニュアル」であったり、ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」であったり、似たようなことは書かれています。
本書は、それらが徹底的に分かりやすくリスト化されていたり、繰り返し解説されているのです。

実際のところ、見たことがあるといってもそれを実行できているわけではありません。
私も一度や二度「そうだ!」と思える内容を読んだところでなかなか実践できていません。たぶん、実践できている人はそもそもこの手の本の先に行ってしまっているんだろうけど。
本書はじっくりと、考えながら、そして取り組みながら読むように作られています。「今回出てきたこの話は前のほうに書いたこれと同じだよ。出来ているかい?」って何度も繰り返してくる感じです。

自制する

一番個人的に難しいと感じていること。それは自制すること。

自分の思考をコントロールできれば、自分を取り巻く世界に変化が起こるのだ。たくましい心を持ち、しっかりと目標の方向付けがなされていれば、あなたは人生に求めるものを手に入れることができる。(P.94)

それが特に何も先にはつながらない。一時の楽しみでしかないものであってもそれを止めることができない。
たとえばテレビや漫画のようなものですね。
本来の自分の理想像や未来像を実現するためには不必要なものであるはずのそれらを自制することができない。でも、逆に言うと自制することができないのは自分が描いた未来像というものが、本当に、真剣に考え抜かれていないからではないだろうか?と、思うようになってきました。
これができずに、ちゃんと自分は行動や意識をフォーカスできるのか?そんなにおまえは器用なのか?
逃げずにちゃんと自分と向き合うこと。当たり前かもしれないけど、やはりそれがまだまだ足りないということなんだろう。

「誰かが成功を収めたということは、他の人にも同じことができるという証明である」
新しい情報に直面した時、偏見を持たず、自分の考え方を修正できれば、猛スピードで変化する世界で成功する大きな力を得ることができるのだ(P.96)

誰かができたから出来るってのを素直にはいそうですかとうなずけるほど素直ではないけれど、”出来ない”と思っていたらいつまでも出来ないことだけはたぶん間違いない。”出来る”と思ってやること。いや、”出来ている”というように行動することで少しずつ変わっていければと思う。

考え、模索し続ける日々は続きそうです。

悩む力

姜尚中(カンサンジュン)著「悩む力」を読んだ

悩む力 (集英社新書 444C)
悩む力 (集英社新書 444C)

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姜 尚中
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本書を読むととても分かるのだが、姜尚中氏は夏目漱石と社会学者であるマックス・ウェーバーに対して強い思い入れがあるようだ。本書では現代人が抱える”悩み”と言うものがどういうものであるのか。また、その”悩み”に対してどう向き合っていくのかを数々の夏目漱石の著作を引用して説かれている。
引用元の漱石の著作に関しては読んでいなくても本書を読むことは出来るが、「心」や「それから」等の作品に関しては読んでおかなければ著者の真意が伝わらないのかもしれないと感じた。
ちなみに、私はそれらの著作に関しては読んでいない。せいぜいあらすじ程度を知っているのみだ。
今思うと、いわゆる”名著”と呼ばれる日本の文豪達が記した著作を私はほとんど読んでいない。
それは、今、それらを読むことに果たして本当に意味があるのか?何か役に立つの?と言う疑問があるからだ。

悩みぬく

私はどちらかと言うと悩み、考え込んでしまうタイプだと思っている。ただ、問題なのは

しかし、そのどれにも納得できないなら、何ものにも頼らずに、ウェーバーや漱石のように、自分の知性だけを信じて、自分自身と徹底抗戦しながら生きていくしかありません。(P.107)

これが出来ない。あるところまで悩んだら、その悩みを投げ出してしまったり、考えるのをストップさせてしまっている。そして、それでいてしばらくするとまた悩み始める。そんな繰り返しばかりではないだろうか?
本書では、何かしら自分を納得させるようにして本当にそれで”納得”できればそれはそれでいいと書かれている。
ただ、それで済ませた結果引き起こされる事実に対して”納得”出来るかは別の話なのではないか。悩んで、悩んで、それで納得した答えから引き起こされる現実と、悩むのを放棄して引き起こされた現実では受け取り方が違ってくるはずだ。それすら”悩む”事を放棄してしまうほど擦れてはいないと思っている。

自分自身は何者なのか
自分自身は何が出来るのか

自分自身という対象に焦点をあてて考え始めると、ある意味私なんかは凹んでしまいますが、どこか青臭いようなこの問いかけも何も考えなくなる日が来るのかもしれない。答えなんて用意されているわけでもなく、悩んだ末に出した答えに自分自身が納得できるのかと言うだけなんだろう。

ただ、好きなだけ悩んでいいというものでもない。著者の言うところの働いている”社会人”である限り、個人の悩みとは関係なく世の中は回っていく。社会情勢や環境等、今の世の中としては決して明るい話題ばかりではない。そんな中にいるとどうしても変な方向に”悩み”が向かってしまいがちではある。
自分自身で納得がいく。そんな答えを見つけられるよう自分自身が耐えられる範囲で悩んでいく事にしようと思う。

プロの残業術

長野慶太著「プロの残業術」を読んだ

残業は悪なのか

私が会社に入った当初。つまりは10年近く前には残業は当たり前状態であった。残業というか、毎日誰かしら会社に泊まり込みで仕事をして、朝方に仮眠をとっている会議室から眠い目をこすりながら出てくるという風景だ。
私自身も3年目~5年目くらいまでそんな感じで、残業に対して特に何とも感じなくなってしまっていた。
自分自身、これではいけないと思い、世に言うワークライフバランスというものを考えなければいけないのではないか?仕事ばっかりでいいのか?などとあれこれ考えた。

これを考えていたのは私だけではなかったのか、それのせいかは分からないが最近は泊まる人がほとんどいない状態になった。それどころか、10時を過ぎた段階で残っている人はほとんどいない!特に若手はほとんど残っておらず、昔、残業が当たり前のように感じていたころを知っている人がまばらにいるだけだ!
すごい!変わるものだ!ちゃんとワークライフバランスができているのか!

実際のところ、年々メンバー。特に若手層の仕事に対するがんばりや習熟度というものが下がっている感がある。これはただ単に入ってきたメンバーのレベルによるだけのものなのだろうか?人事部がさぼってちゃんと面接を行っていないのか!?
結局は”ゆとり”教育と同じことが起きてしまっているのではないだろうか?

残業せずに何をやるのか

ワークライフバランスにおいて重要なのは、”ワーク”も充実させるし”ライフ”も充実させることであって、別に”ワーク”の時間を短くすることではないはず。

それは取り返しのつかない犠牲だと言って言いすぎではない。
一つ目の理由は、「ゆとり企業社会」などは幻想でしかないからだ。
人が職場で苦しむのはストレスであって時間ではない。
<中略>
二つ目の理由は、ビジネスの現場は、個々人に「ゆとり」があるかないかなどとはまったく無関係に進行しているからだ(P.9-10)

そう、そうだよ!
“ワーク”の時間を短くしておいて、家に帰ってダラダラとテレビを見る。ゲームをする。それで”ライフ”が充実しているのだろうか?友人と酒を飲むのもいい。恋人とイチャイチャするのものいい。それが自分にとっての”ライフ”の充実であるならば。
特に私が気になるのは”ワークライフバランス”を重要視する人はたいてい、”死に物狂いで残業をして働いた”経験を持つことのほうが多いことだ。その人たちは「効率よく仕事をすすめ、私生活を含めて豊かにしていくことが人間としての成長を…」的なことを言う。
ただ、今、その人たちがその地位にいたり、それだけの知識や考え方を持っているのはそういう時代を過ごしてきたというのも一つの要因ではないのではないだろうか。

どういう残業をするのか

だからと言って、むやみがむしゃらに働けばいいというものでもないし、無駄に会社に残っている必要性は無い

われわれの残業が、ほんとうにどうしようもなくつらく苦しいものだとしたら、その意味や意義が明らかになているか意識しなおしてみるべきだ(P.30)

単純に日々の仕事の延長戦として残業を持っていくのは、やむにやまれぬ場合もあるが、本書で考えられているように意味や意義を別に定義してとりかかるというのは確かに重要なことかもしれない。
つまり、それをするために通常の時間帯において、うんざりすることは片付けてしまうことが重要になる。
別に私は世に言うハックだとか効率化だとかいうのが嫌いなわけではない。
ただ、8時間の作業を6時間で終えることができたとしても残り2時間何もしなければそれはその作業に8時間かかったのと結局のところ同じだということだ。早めに仕事を終えたとして、ダラダラと煙草を吸ったりしていては、意味がないどころか周りの迷惑だ。

とはいえ、人によっては残業が難しい人もいる

残業ができる人は限られている。
私のまわりにも、やる気はあっても、子の教育、親の介護、共働きなど様々な事情で残業のできない人はいっぱいいる(P.198)

そう、この年になってあれこれ勉強しようと考えた時に残業は使いづらい場面が多くなったと感じる。
特に子供が生まれてからというのは顕著になった。今はまだ妻が産休だからマシではあるが、働き始めたらさらに厳しさを増すのではないかと考えている。
親のエゴかもしれないが、子供の教育上親が普段家にいないというのはあまり良くないだろう。そう考えると、昔のように遅くまで仕事をするのが難しくなってくる。
家に帰ってからも、落ち着いた時間というのは明らかにとりづらくなっている。

自分自身の勉強の仕方というものは、やはり考えていかなければいけないだろう。

結果を出す人はノートに何を書いているのか

社会人勉強会を数多く立ち上げている美崎栄一郎さんの処女作「結果を出す人はノートに何を書いているのか」を読み終えた。

「結果を出す人」はノートに何を書いているのか (Nanaブックス)
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私もいくつかの勉強会に参加させていただき、数々の気付きをいただいている美崎さんの処女作とあって、意気込んでAmazon予約したものの、届くのにずいぶんとかかってしまった。
一通り読むのには時間はかからなかったが、何度か読み返したかったこともあって紹介が遅れてしまった。
以前、朝食会の折に美崎さんが小さいノートの束を輪ゴムか何かでくくって持ち歩いていたのを覚えています。その後、ノート術関連で雑誌の取材を受け、その中身が気になっていました。これはチャンスだー!?

文房具紹介

タイトルは「ノートに何を書くのか」ですが、かなりのページを文房具の紹介に費やしています。
ちょっとタイトルと違うんじゃない?って思うところもありますが、「何を書くのか」だけではやっぱり不十分ということでしょう。そもそも、私もノートは持ち歩いているのですが、”そもそもノートを書けない”という場面が発生しています。”書けない”というよりは”書きそびれている”もしくは”書く習慣がついていない”というところですが、それを道具の力で幾分かは補うことができるのかもしれません。
確かに、かっこいいノートやペンを使って、”そもそも書くことは楽しい”という感覚を身につけてしまえばめっけもの。
ふむふむ

予想と結果

ノートの書き方に関しては色々と参考になる点はあったのですが、個人的にやっぱり大事だなと思ったのは予想と結果の記録です。これは先日読んだワタミ社長の渡邉美樹氏著の「戦う組織の作り方」でも”仮説と検証”という形で出てきました

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特に”そこまでやるのかー!”って思ったのは電話のメモに対してまでそれを実践すること。確かに言われてみれば、かける前に「何の用事だろう?」と思いはするものの、実際のところここまでのことはしていません。そのあたりの微妙な差が積み重なってくるのだろう。ふむぅ
スケジュールに関してもまだ私は週単位でしかあまり考えていない。これを月単位。そしてさらに広げて物事を考えられるようになれば自然と先手先手の動きがとることができるのだろう。これは訓練していくしかないな~。とりあえず、来月の予定表見たらほとんど埋まっていなかった。むむむ。来月のことなのに少し無計画すぎるか…

あれこれ考えて

まずは、月単位で物事を考えていけるようにしようと思っている。予定を立てるのもそうだけど、あらかじめ来月の月報報告を書いてしまう。もちろんいいことしか書かないのでそれが実現できるのか。仮説と検証。また、仮説に向けた行動ですね。
ノートの取り方に関しては、本書で述べられている内容と、今自分自身で模索している内容。さらに、別の本で得られた内容等を旨い事Mixすることはできないかとここ最近はもんもんとしている。
これに関してはある程度形になったところで報告していきたい

財務3表一体理解法

國貞克則著「決算書がスラスラわかる財務3表一体理解法」を読んだ

決算書がスラスラわかる 財務3表一体理解法 (朝日新書 44)
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私は以前、簿記の試験を受け、落ちたことがある。少しなめすぎていたのもあるのだが、簿記の仕訳手法をあれこれ学んでいてもイマイチやっている内容の実感が湧かなかったのだ。
「これが何の役に立つのだろうか?」

よく言われているのことに「英語と会計は勉強しておいたほうがいい」がある。英語も会計も、結局のところ自分が使おうとしない限りあまりなじみがないのが事実だ。
英語はまだいい。頭をひねれば使おうと思えば使える。必要なのは勇気だ。
ただ、会計は実際のところなかなか難しいと私は思う。”会計は大事だ”という言葉に乗せられて簿記を勉強している人がいるが、複式簿記を普段の生活のどこで使うというのだ。起業したりするのであればもちろん別。たいてい”会計は大事だ”というのは起業した人だ。
このあたりのわだかまりがとれないせいでどうにも身に付かない。もちろん、いいわけだ。

本書は、そんなバカたれな私でも読んでいて”なんとなく”財務3表がわかった気になった。この”なんとなく”というのがとてもいい塩梅だ。これは世間一般には小さな一歩だが私にとっては大きな一歩だ。
実際に私自身が起業を念頭に置いているわけではないが、本書で用いられている”仮想起業”(しかも副業)での財務3表の作り方はとても”しっくり”ときた。もちろん、本書で述べられている内容というのは簿記会計でも出てくることはあるのだが、書いている内容がとてもわかりやすく、また私が勤めている会社の状況や決算整理を見ていたりして疑問だった部分が分かった気がする


つまりうちの会社は利益をみずま(ゴホゴホ

いや、なんでもないですよ。一応認められていることと書いてはありますし。問題は無いはずですよ?
なんか、そのやり方は今期からやめたみたいだし…

ううむ、やっぱり会計は大事か。自身が勤めている会社の現状を知る上でも。

日本人の知らない日本語

前々から存在は知っていて、書店でチラチラと見ていたのだが買っていなかった「日本人の知らない日本語」を購入。読んでみた

日本人の知らない日本語
蛇蔵&海野凪子
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本書の原案を書いているのは日本語学校の先生である。
日本にやってくる様々な国からの人たちに対して日本語を教えている中で発生する日本語に対しての質問や誤解をコミカルに描いた作品で、読んでいて勉強になるというよりは素直に面白い。

本書の中で指摘しているとおり、日本人が普段使っている日本語に関しても、間違っている使い方は多い。ただ、こういうことはずいぶんと前から言われ続けていることだ。
それでも、正しい日本語が培われないのは通じてしまっているし、それで良しとしてしまっているからだろう。間違ったことをどこからか覚えてきて、それをあたかも正しいマナーであるかのように話をする人までいるのでどちらか分からなくなってしまう時もある。
先日も「”お疲れ様”を上司に使うのは間違いだー!最近の若い子は使い方が駄目ね」なんて言い出すお局様まで出てきて反応に困ってしまった。

使い方に関する話と同じくらい面白いのが語源だ。
語源なんて実はいい加減なもので、「昔の人がこう決めたからこうなっている」なんてことがやっぱり多いみたいだ。まぁ、そもそも象形文字でもない限りただの記号なんだからそんなものと言ってしまえばそんなものなんだろう。
ただ、これらを知っているとちょっとした雑学王みたいな気分になれて気持ちいい。先日も、名前に関する話でとても面白い記事を見かけた

日子という女性名が無い理由を外国人に説明できない?
http://kousyoublog.jp/?eid=2351

言葉ってのは奥が深いですね。
少なくとも、部下に誤った指摘をすることがないように注意しよう。