「明日、機械がヒトになる」を読んだ

先日、後輩と1on1をしている際に彼が開催した読書会の話題となった。

当時、別件で忙しく私は参加しなかったのだがあまり参加者が集まらず、なかなか難しいなという話だったので、どんな本を題材にしたのか聴いてみたら、タイトルの本だった。

調べてみると、Audible版もあり、著者本人が朗読しているということだったので早速聴いてみた

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そもそもヒトの定義とは

この本は、人間の進化と機械の発展に焦点を当てており、その仮想的な未来が著者にとってどれほど興奮をもたらすものかを考察しています。

この本が発行されたのは2016年。しかも著作の中でも執筆に2年ほどかかったということなので、現時点から考えると技術的な位置づけはだいぶ様変わりしているはず。

特にOpenAIがChatGPTを発表して以降のAIに関連する進歩の速度というものは目を見張る物があり、本書で語られているヒトと機械との境界線は相当薄くなっているはず。

だからこそ、そもそも人間とは、そもそも生命とは、、、
そういった、若干青臭いような気にもなることを考えてみるのも一つなのかもしれないな、と思った。

この先どうなるか

現状では、ものすごく優秀なAIはできつつあるけれど、そこにいわゆる自我があるのか?という話になると疑問符がつく。

ただ、そもそも自我ってなんだっけ?という点に着目し、それらは受動的な反応ではないのか?自由意志なんて言うものは存在しないのではないか?という点に関しての考察もあり、これに関してはなかなか面白かった。

ChatGPTが出た当初、チャットに対しての回答は、意味を考えた上での結果を返してくるのではなく、質問に対しての回答を過去の蓄積されたデータの中からそれっぽいものを前後関係を考慮した上で返してくる反応だと認識した。

ただ、それって結局のところ人間が頭の中でやっていることも同じことが言えるんだろう。
ChatGPTのようなモデルを、それぞれ一人ひとりがやっているから個性があるとも言えるし自由意志に見える。
でも、突き詰めて行ってしまうとそれらも反応といえば反応なのかもしれない

答えのない問い

面白い問いかけではあるけど、答えがあるようでないものだし答えがあったところで何かが変わるのか?というと変わらない気もする。

今日も自由意志で生きている気にもなっているし、失敗したときはこれは反応で決まっていたことが結実しただけなんだと言うこともできる。

一つ言えることは、読書会で題材にして感想は言えるかもしれないけど、で?ってなる人も多くいそうな本を選んでしまったなぁ、という気がしないでもない。。

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