読書感想文」カテゴリーアーカイブ

フラジャイル28巻と灼熱カバディと。。

フラジャイルの28巻が発売されました

フラジャイル

前巻の「病理の学校」から続いているわけですが、話の内容は宮崎先生と森井技師の巣立ちに関する話。

フラジャイルは最近は患者中心の人間ドラマから主人公周辺のメンバーの人間ドラマになってきており、岸先生から徐々に人が巣立っていくという・・・

終わるのか・・・・!?

終わるのかもしれないなぁ。もう28巻だしなぁ

ストーリーはどれも読み応えあるし面白いし、好きなので続いてほしいと思う反面、これはこれできれいな終わりなのかもしれないなと思わなくもないですね

複雑。

そういえば、マンガワンで連載されていた灼熱カバディも完結してしまいました

灼熱カバディ28

こちらも現在の最新巻は28と、似たような数字。。。
最初読み始めた際は、ネタスポーツを取り上げたギャグ漫画かと思いきや熱かった。

連載9年ということで、月日の流れを感じてしまいます。
そりゃ私も歳を取るわ

ストーリーのしっかりした、面白い漫画がどんどんと終わりに向けて進んでいくのを見ると悲しい気持ちにもなります。
異世界俺強えものが多すぎる中で貴重だったのですが。。。

まだ終わるとは限っていないので、引き続きフラジャイルには頑張ってほしいです。

「散歩哲学」を読んだ

島田 雅彦著「散歩哲学」を読んだ

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名前からすると哲学書なのかと思ったが、読んだあとにAmazonのジャンルを見るとエッセイとなっていて、なるほどな、と思う。

哲学的な何かを考えるというよりは、散歩をしながら思索をしている内容を本にしたような印象を受ける。

これまで著者が暮らしてきた海外生活と東京下町や多摩あたりを思索しながら散歩するわけだが、途中からひたすら飲み歩きの内容になってしまい、酒を全く飲まない私としては全然共感のしようがない内容となってしまった。

酒飲みでかつ、関東在住であればまた受ける印象も違うのかもしれない。

散歩ができていない

考えると、散歩ってあまりしていないな、と思う。

本書で書かれているような、旅行先の通りをメインストリートから細道まで制覇するような歩き方というのは、歩くことそのものが楽しいか、何かを探して、宛もなく彷徨うことを良しとしないと行けない。

それは非常に魅力的な話ではあるものの、それができるようなのんびりとした旅は正直すぐには出来ない気がしている。

旅行に行けば観光地を巡ったり、何かしらの体験をしたりとしていればあっという間に旅行の日程が終わってしまう。
宛のないほっつき歩きというのは、余裕がないと出来ないものだ。

それでも、そうすることでしか出来ないであろう出会いや経験みたいなものは、過去を思い返してみると自分もないわけではないし、まるで映画の主人公にでもなったかのような一期一会をしてみたいとも思うものだと思う。

歩きながら考える

考えてみると、歩きながら考えるということをあまりしていないな。

私が走り始めた一つの理由として、頭の中を真っ白にするということがある。
あれこれごちゃごちゃと考えがまとまらないときにリセットするわけだ。

そうすることで、空っぽになった頭で物事を考えるように・・・とは必ずしもいかず、疲れて眠気が来てしまうということもある。
ただ、頭を切り替えるという意味においては有効だと思っている。

そんなわけで、何も考えていないわけではないけれど、考えるために歩くというよりは考えないために走るということのほうが圧倒的に多い。

夏に旅行を計画しているので、少し散歩を楽しむことができればと思う。

「子どもを伸ばす言葉 実は否定している言葉」を読んだ

天野ひかり著「子どもを伸ばす言葉 実は否定している言葉」を読んだ

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子育てに関連した書籍はこれまでもそれなりに読んではいるけれど、どうしても”自分がどう育ってきたか”をベースに頭が動くので、読むたびに難しさを感じている

我が家も子供は多い方なので、経験値としては高い方だとはおもうが、結局のところ一人一人違うし、その時の親の状況も異なる。

一人目のときは親二人でみればよかったものが二人目、三人目となってくると上の子も小さい中での子育てとなり必然的に余裕はなくなる。

親自身が理想的な動きなんて出来ていない中で子育ての理想を説かれても、、という言い訳をしたくなるものである。

何をOK、何をNGとするのかの判断基準も含め、一つの考えとして参考にしたいと思っている。

器の大きさ

本書で一番気にかかった言葉としては「器の大きさ」という表現。

子供があれこれやっているところに、あれやこれや言っても、そもそもその子にとっての受け入れられる器の大きさが小さければ、パニックになってしまうという話。
そして、その器を大きくするためには自己肯定感を育んでいかないと行けないということであった。

私の性格的に、気になったことは言ってしまうし、何度も繰り返してしまう。
特に本書で書かれている状態になりがちなのは三男。

この「器の大きさ」という表現はしっくり来た。
この表現と、自分がこれまでしてきたことを思い返すことが出来ただけでも読んだ価値があったと思う。

気をつけないといけない。

『徹夜しないで人の2倍仕事をする技術三田流マンガ論 ─三田紀房流マンガ論─ 』

最近はAudibleでずっと英語のスピードラーニングを聞いているわけですが、このスピードラーニング。長い。
めちゃくちゃ長くてそれ聞いている間はAudibleの契約切ってしまおうかと思うくらい長い。

というわけで、たまに違う本を混ぜながら聞いていたりします。

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絵を見れば、ドラゴン桜の人だと一発で分る。
今はインベスターZを書いている三田紀房さんですね。

本書は徹夜が当たり前と言われている漫画家の世界において、もともと会社員として働いていた経験を活かして、業界の慣例に従わず正しいと考える方法を取り入れて行くということの大切さが書かれていると感じました。

題材としているのは漫画家業界ではあるものの、他の業界でも似たようなことは少なからずあるとは思うのです。
そのすべてが、見直さないと行けない悪習慣とは言えないとは思うものの、本当にそれって必要なのか?は考えないといけませんよね。

私はずっとIT業界で働いているわけですが、作る対象が変わっているだけで働き方だとか考え方みたいなものがずっと変わっていない。
なんだか成長していないような感覚を長い事持っており、それもあって転職したりもしました。

結果からすると転職したことで変わったというよりはコロナなどの社会的な変化による影響のほうがきっかけとしては大きかったようにも思えますが、ここ数年でずいぶんと変化が出ています。

生成AIなんてものはその最たるものに感じます

今までを疑うというよりは、正しく見直し、評価するということの大切さは忘れないように日々過ごしていく必要があるな、と改めて感じた次第です。

ハーバード・ビジネス・レビュー8月号

8月号が届いたので読んだ。
今月号の特集はインフルエンサーマーケティングに関して

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特集はインフルエンサーなんですが、正直この内容には食指が動かないんですよね。

一方で、翻訳論文の「優れた交渉は最高レベルの傾聴から始まる」はちょっとおもしろかった。

誘拐事件などの身代金要求などに対しての交渉を行うような人。いわゆるネゴシエーターが語る傾聴に関しての話ですが、読んでいると「1on1で気をつけること」みたいな感じがしてしょうがなかった。

というか、この内容に近いことをいつだったかのリーダー研修みたいなところで習ったような気がするなぁと思ったのです。

傾聴が大事だというのは理解しているつもりで、その人の本当に考えていることを引き出すという点においては大事なスキルだと思う。

一方で、交渉じゃないけれど、相手の意見を引き出す一方でこちらの意見もぶつけなければいけないシーンは多くあります。
ラポールを築くことができればこちらの意見も聞いてくれる!みたいなことは起こらないと思っているのです。

そのバランスと言うか、まさに交渉何だと思うその部分に関してが一切触れられていないのが残念だと思った。

どうなんでしょうね。ほんと。

呪術廻戦 27巻

発売されました

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前の巻で五条悟が死亡。
バッタバッタと関係者が死んでいく中で、呪術の縛りというか、説明がどんどん増えていって正直おいきれなくなってきた。

ノリは好きなんだけど、呪術とは・・・?という。
まぁ、なんだかんだ言って読んで入るんですけどね

題材として怨霊だとか呪力だとかを扱っているので、この先でこれまで死んだとされた人が復活するなんていう展開もあるのだろうか。

とりあえず、27巻はひたすらにコントだったなぁと思わざるを得ない内容でしたね。

「「書く力」の教室」を読んだ

田中 泰延 著。「書く力」の教室を読んだ

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本書の内容としては、ライターを目指す。つまり書くことを職業とすることを目指す人に向けた、指南書とも言うべき内容。

ただ、何かの対象に対して向き合うという姿勢だったり、心構えという意味では特別、「書く」という行為に限った話ではなく色々となところに同じように当てはめることができるように感じた。

当初はブログを書いたりするうえで、もう少しうまい文章だとか、そういったものができないかな?と思い手にとって見たけれど、本書で書かれているような取材を伴った文章は、毎日更新を。しかもそれで食べていくことを考えていないブログには向かないと感じた。

時間がかかりすぎる

一方で、日々の仕事の中で。
例えば、1on1でメンバーからヒアリングをするというシーンにおいて、本書で書かれているような取材を行う上での進め方だったりは参考になりそうだ。

本当は、1on1ももっと相手に対して向き合ったうえで実施をするほうが効果が高いように感じる。
もちろん、会話の主体は相手に持っていく必要があるにしても、この1on1に意味があったと感じてもらえる内容にするためには、相手の表面ではなく真意を引き出すような問いかけが必要になる。

どうしても、日々の忙しさからおざなりになってしまうきらいがあるのだが、教育はプライオリティの高い仕事のはずなのだ。
このあたり、もう一度見直して進めていこうと改めて考えた。

ちょっと長いな、と思った本ではあるけれど、そういった気付きが得られたので良かった。

HBR7月号

Harvard Business Review の7月号が来たのでつまみ読み。

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最初、どんなものかと書店で手に取り、そのままレジに持って行って値段にびっくりした記憶が懐かしいHBRですが、定期購読を続けて数年が経ちます

正直、どこまで血肉になっているのかというのは怪しいところはあるのですが、時々学びになることは確かにあり、活かせているかどうかの問題はやはり本というよりは自分のほうにありそうです。

そんな、今号のテーマはキャリア論。
個人のキャリア形成に対しての特集が組まれていて、まぁそうだよねって内容がまとめられています。

まだ読み進めている段階ではありますが、すごい新しいと思えるものはない。
ただ、ちゃんとできているのか?といわれるとできていることもないということではあるので、わかった気になってしまっているということなんだろう。
改めて認識するためにも読み進めています。

本を読むという習慣をつけようとしている一方で、読んでいない本はどんどんとたまっていってしまいます。
ここの所はAudibleも活用しているのですが、Audibleの時間はそれなりに確保できているものの、ちゃんとした本を読むという時間の確保が出来ていません。

物理の本はもちろん、Kindleで読みかけの本もまだ2冊ほど。。。
特に勢いで購入した「A Philosophy of Software Design」は英字なだけに読むのに非常に時間がかかってしまっています。というか、寝てしまいます。。。
書いてあることは、勉強になることなのですが言語の壁がまだ私には厚いです。
もうちょっと苦労せずにすらすらと読むことが出来ればいいんですけどね。

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英語に関しては、何とかしたいなという思いは相変わらずあるので、最近は聞き流しではありますが、音声コンテンツを活用しています。
しゃべれなくても読み取りと聞き取りくらいは何とかしたいですね。

理想のヒモ生活 20巻

あれ、いつの間に新刊出ていたんだろう。。。
Amazonのおすすめとかは本当に使いづらいですね

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19巻で港町ポモージェに騎士団が攻め入るという話が本格化したところから、その対応が始まるところまで。

新たな女性キャラが登場して、またハーレム要員が一人増えるのかしらと思わなくもないです。

それにしても主人公の善治郎。
博識で頭が回りすぎます。
残業時間が月あたり150時間を超えるようなブラック企業に務める、どこにでもいるサラリーマンと言う1巻での説明書きはどこへやら、政治世界で研鑽を積んでいる王女達の思考を読んでいく様は、なんというか、どこにでもいるサラリーマンじゃないだろうと思わざるを得ませんね。

まだ、私が150時間超える月が少ないからそう思うのでしょうか。
ヒモになるのも、実にハードルが高いものです。

ルクレツィアの霊圧が完全に消滅してしまっていたのは触れないであげてください

〈私〉を取り戻す哲学 読了

タイトル通りではあるけれど、岩内章太郎著「〈私〉を取り戻す哲学」をAudibleで聞き終えた。

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私とはなにか

本書では「私」というものはなにかということを中心に話が進んでいく。

自分自身で考えてみると、妻から見たときの夫としての私。
子どもたちから見たときの父としての私。
職場での上司としての私や部下としての私。
大学時代の友人から見たときの私

それぞれ、私には違いないけれどその時その時での考え方や動きは微妙に異なっていたりする。

これらの差異は、意識してやっている部分もなくはないのかもしれないが、基本的には無意識下で行われる。
しかしゲームやメタバース、SNSなどのサイバー空間で考えると、いわゆるこれらのキャラ付けというのは、現実世界での使い分け以上に意識して行うことが可能になる。

特にゲームなどではゲームキャラクターとしての私になるし人間ですらないかもしれない。
それはもはや私と言えるのだろうか?とすら思えてくる変貌を見せることができる。

ただ、多かれ少なかれそれらの、変身欲求というか、そういったものはあるけれど現実世界の私とは異なっており、続けていくことに無理が生じることも少なくない。
人によっては、現実世界の私よりも軸足がサイバー空間のワタシにのめり込んでしまうということもあるらしいのでこのあたりは人それぞれなんだろう。

こういうことを続けていくと、結果として「そもそも私は何者なのか」が希薄になっていく。そして自分を見失ってしまっているのではないか。
そんな内容だった(と思っている)

私を取り戻す必要性

確固たる信念のようなものを持っている人は、それはいいと思う。

残念ながら私にはそこまでのものはないように感じる。
私を取り戻すって言うことは、そういうこととも思えるし、そうとは限らないとも思えている。

本書で言うところのエポケーだろうか。

正直、あまりうまく言語化できない。
つまりは、理解ができていないということでもあるのだろう。

まだまだ、アタラクシアにたどり着くのは先のようだ