はい、師走です。
師走。つまり師であってもバタバタと走りまわる季節ということですね。
うん、分かりやすく言うと忙しいということです。
はい、そのままそのまま。
平たく言うとデスマ。
戦場
途中までワクワクしていたけど、途中から結構凹んだ。頑張る。頑張る。
よるたまたまつけていたテレビ
で、今日の答え合わせ占い(過ぎた日がどんな一日だったのか占いでだす)で、てんびん座は10位「夢見ていたことが壊れた日」だってさ。
思わずおいら噴き出しちゃった><
はい、師走です。
師走。つまり師であってもバタバタと走りまわる季節ということですね。
うん、分かりやすく言うと忙しいということです。
はい、そのままそのまま。
平たく言うとデスマ。
戦場
途中までワクワクしていたけど、途中から結構凹んだ。頑張る。頑張る。
よるたまたまつけていたテレビ
で、今日の答え合わせ占い(過ぎた日がどんな一日だったのか占いでだす)で、てんびん座は10位「夢見ていたことが壊れた日」だってさ。
思わずおいら噴き出しちゃった><
今日は超久々に映画を見てきました。
子供が生まれてからというもの、なかなか映画館に行くことができなかったのですが、どーしても嫁が見たいというので交代で子守をしながら見ました。何を見たかというとやはり。。。
です。あちらこちらで大絶賛の声が聞こえるので、大災害モノのパターンはもういいよと半分思いつつも期待して行きました。
結論から言うと、予想通りに面白く予想以上には面白くなかったという感じでした。このあたりはどういうものが好きなのか…ということが大きく関わってくるので万人に共通した感想は難しいところ。
こういう大災害モノは、私にとって感動するポイントが「別れ」の場面以外にほとんどないところが悲しいところです。だから、最後の結末のあたりは・・・まぁ、そうだよね、と。
そういう意味ではスポーツ物のほうが最後の最後まで感動出来て個人的にはあっているのかもしれない。もしかすると、カールじいさんの空飛ぶ家のほうが実は楽しめるのかも…と思ってしまったり。
いや、いい映画ではあったと思いますよ。
いくつか、船の素材とか動力とかとても気になりはしましたが・・・
アメリカ人に限った話ではないのだけど、こういう映画では必ずと言っていいほど、自分の親や子供に対して
「お前を誇りに思う」
的なセリフが出てくる。これって、私的感覚では自分が言っているところは想像できない。
想像できないんだけど、すっごくいいとは思う。そういえば、こんな本があった
著者は気張らず、教え諭そうとはせずに、優しく“死”について述べている。若き医師の良著でしょう!
サクラを目指して
よい本でした
うーーん。。
参考になりました
たぶん、こういう災害モノの映画で考えるものの一つに「死ぬまでに自分は」って物を見つめなおすことがあると思う。
私は結局、父親に対して息子らしいことを対してしてあげられなかったのではないかと思う。父親が死んだ時、そのことに後悔したはずなのに母親に対したことをしてあげられてないのではないのか。
子供に、妻になにをしてあげられるだろうか。
モノばかりがその対象ではないだろうけど、それはやっぱり考えてあげなきゃね。
それを思い出させただけでも、見て良かったんだと思う。
うん。
夜中にたまに流れるGoogleのCM
これの効果って何だろうか?
確かに、検索エンジンを使って、連想ゲームのように検索を進めていくのは面白いと思うし、時々やることではある。ただ、このCMのイメージは私が今までGoogleに対して抱いていたイメージとはずいぶんと違うものだった。
ただ、IT業界に携わっている人間が見るGoogleの像と世間一般から見たGoogleの像というものは違うのかもしれないと思うと、このCMによって親近感が湧いたりするのかもしれない。
どうだろうか。CMを見たことによってGoogleのイメージが上がったのか。そして検索したくなったのだろうか。
こういうCMの効果。測定の方法も難しいだろうけど、気になるなぁ
会社の健康診断があった。これまで幸いにも大きな病気にはかかってはいないが、過信は禁物。元気だった親父も糖尿病にたんを発し、ついには死んでしまった。
日々の生活には気をつけないといけませんね
さてはて、お題の話はなにかと言うと視力です。
私が従事しているIT業界。日がな一日中パソコンの前にいるので、必然的に目が悪い人間が多い印象だ。その中においてずっと視力を両目ともに1.5な私は珍しいのかもしれないし、私としても唯一(?)自慢できる事です。
が、右目の視力が落ちてました…。
いや、数字的には両目ともに1.5をキープなのですが、右目は判別が何とか出来るものの、ボヤけて見える状態。ううう、ショックだ。こんな商売続けてるからだー!!
ぜいたくな話だとは分かっているのですが、周りから見れば問題ない視力でも、これまで見えていたものがぼやけてしまうということに関してはやはり違和感のあるもの。これまで視力がよいことをいいことに放置してきましたが、目をいたわってあげなければいけません。
と思う一方で、毎回思うのは限界まで測って欲しいという欲求不満。誰が1.5で止めていいなんて判断したんだ?アフリカのサバンナで生きていけないじゃないか>
もしくは、動体視力だとかちょっと違った視点での視力をはかってみてはどうだろうか?静止した状態のものが見えるのも大事だけど、動体視力は車等を運転する時にはよっぽど重要視されるべき項目のように感じます
はてなブックマーク上でにぎわっていた、経営の神様といわれるピータードラッカーが晩年に書いたと称される詩を読んだ
ピーター・ドラッカー95歳の詩(Apelog)
もう一度人生をやり直せるなら・・・・今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
- P.F.ドラッカー 享年95歳-
言葉としては確かにいいものだと思った。なるほど、そうなのかもしれないなって。ただ、ドラッカーが書いたといわれて読んでみて思ったのは違和感である。
ドラッカーの著作に関しては数多くあるので、読んだというレベルまで読んでは無いが、あの人がこういうことを言うのだろうか?逆にあの人だからこそこういう締めくくりになるのだろうか?本当に?
道を極めた時に最終的にそういうものが見えたのだろうか?とても興味をそそられた
詩というものは、訳者によって大きく印象が変わったりするのでやはりこういう時には原文を探してみるのが一番だろうと思って探してみた。
ところがこれが見つからない(捜索時間3分であきらめる男)
もちろん、探し方に問題があるのかもしれないが、あそこまで有名な人の詩であれば軽く探せば出てきそうなものなんだけど…見つからない。原文が見つからないのにも関わらず、ここまで多くの人がこの詩をドラッカーのものとして話をしていることに対しても違和感を感じる。
原文探しをあきらめた私は、「同じこと考えてる人いるんじゃない?」とプログラムのライブラリを探すような気分で検索。ヒットしたところに、本件に関して詳細なまとめが書かれていた
「95歳の老人の詩」の本当の作者(サイコドクターぶらり旅)
疑問をもったらまず原文にあたってみるのが基本なので、いろいろと検索して調べてみたのだけれど、奇妙なことに、いくら探してもドラッカーの原文はどこにも見つからない。ただし、非常によく似た文章がナディーン・ステアという85歳の女性の作として流通していることがわかった
うん、全く同じ行動ですね。
詳細に関しては私がここでグダグダ言うよりはよっぽど丁寧に説明されているので是非ご一読を。
端的に言うと、引用させていただいたナディーン・ステアという方かどうかは不明で、もう一人、ドン・ヘロルドという候補がいるようです。
このドン・ヘロルド。面白言葉をたくさん残していますね
- 貧乏には、楽しいことが沢山あるに違いない。でなければ、こんなに沢山の人が貧乏であるわけがない
- 女というものは、下着とともに、恥じらいの心をも脱ぎ去るものだ。
- この世でなにが悲しいといって、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない。
- 愚かであることは一生続く。無知は直る可能性がある。
ふむぅ。ちょっとひねくれ者?確かにこの人が書いた文章となると、当初の詩に対する見方はずいぶんと変わるかもしれない。なんだかとてもすっきりした
こういう言葉をめぐった人物像のおっかけもなかなか面白いですね。
先日会社でどうにも思うようにいかずに凹んでいたときに、立ち寄ったジムにたまたま置いてあった雑誌「Tarzan」ここに信じられないような過酷なマラソンの記事が載っていました。
そこに紹介されていた、ボロボロになりながらも走り続ける姿を見て、自分の情けなさを思い知らされた。そんな気がして、なんだか尻をひっぱたかれたような気になりました。
そして、今日。思わぬところで再開。
激走モンブラン (WONDER X WONDER NHK)
http://www.nhk.or.jp/wonder/program/19/index.html
この大会はウルトラ・トレイル・デュ・モンブランという名前らしい。166kmもの距離を制限時間46時間の中で走り続けるというもの。二晩にかけて徹夜で走り続けるというとても過酷な内容です。
すごい
もはやすごいとしか言いようがない
信じられない世界だ
放送の中で、表彰式の最中に走ってきた完走者。もう、なんだか見ていてこみあげてくるものが。
私はたぶんマラソンやトレイル。駅伝といったような”走る”というスポーツが好きなんだと思う。他のスポーツも嫌いではないが、たぶんその単純さというか、そういう共感するところが多いのが原因なのかもしれない。
走るということは私も嫌いではない。ただ、現在の自分を見ると週に一度、あるかないかのジムで軽く走っている程度にとどまっている。それでもしないよりはましなんだろうが、これらにチャレンジするというものを目的に据えるのであればこれでは全然足りないことがありありと分かってしまう。
やはり早朝ジョギングだろうか。
調べてみると日本にも数多くのトレイルのレースがあるらしい。モンブランにはこれらの大会で完走することでえられるポイントを集めることが参加条件となるらしい。代表的なのはおんたけ100kmマラソンかHASETUNE(ハセツネ)という大会のようだ。
果して自分に何が出来るのかは分からないけど、これらに挑戦する。そんな行動を起こしていきたいと思った。ハネムーン効果で終わらないようにしなければいけないな…。
まずは・・・朝起きれるかというすごい低次元な戦いが待っているのだが…うううむ。
激しく自信の無い自分がここにいるぞ…。
うーん、ショックだ。疲れて帰ってきたところに突然の悲報が。
円楽さん「静かに息引き取った」と息子の寛家さん
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/stage/318870/
以前脳梗塞で倒れてしまい、当時笑点を楽しみにしていた私はショックを受けたのだが…。そして退院してからも、仕事に対するプライドから笑点の司会に戻ることもなく引退。引き際というのを見せていただいた。
謹んで、ご冥福をお祈りします。
先日、会社の事業計画会議がありました。
会社の下半期に対する計画、そして各部署の計画に関して話をしていく場であり、私は別に部署を率いているわけではないですが、特殊なプロジェクトに携わっていることもあって話をしてきました。
計画。
仕事をし、チームなり課を任されている限りは計画を立てなければいけません。もちろん会社であれば収益の計画もありますし、そもそも会社として何を目指していくのか、意識を合わせる必要があります。
そしてそれらに対して前期はどうだったのか。そして下期はどう向き合っていくのか。部署の長によってその話し方だとか方向性に違いがあってなかなか面白いです。
聞いていて残念に思うのは
「あ、この計画内容は前回と同じだな?」
って思うことが多々あることです。もちろん、計画が実現できなかったことに関して、当該部署だけでは解決できない問題もあります。お客様事情によるものもあります。
多くの場合は計画時に定めたルールに従って、その目標を達成するべく動き出します。
しかし、結局のところ”何を大事だと考えているのか?”ということが部内で統一できてないがために、ふとしたことで決められたルールから外れた。つまり”今までと同じ”行動をとってしまうことになります。
本来、会社のような組織であれば何かしらのチェック機構が働いて、個人の動きではなく”仕組み”として業務をまわしていくべきだとは思いますが、どうしても中小企業では”これまで通り”の動きになってしまいがちです。
何しろ悲惨なことに、時として”計画を立てた本人が破ってしまう”事態に陥ります。”非常事態”の名のもとに。
場合によってはとても高い理念を計画として掲げてくる場合もあります。
間違いなく正論な内容であり、確かにそれが実現することができたらな…と思うような目標ですね。
しかし、話を聞いてみると部署のメンバーとの温度差があったりします。
恐らくリーダーは、現状を打破するためにものすごい考えて計画を立て、情熱に満ち溢れて発表したのかもしれない。それに向かって一致団結して取り組みたい。そう考えているのかもしれない。
多少脚色し、暑苦しいような書き方をしてしまったかもしれませんが、昔私も「はいはい、できないできない」と冷めていたことを考えればむしろ普通なのかもしれない。
たぶん、これにはその部署や会社の風土だとか体質といったものが大きくからんでくると思う。普段から冷めきった体質のメンバーに対して急に熱くなれってのも無理がある。それこそ以前読んだ感動体質を作るぞ!って企業を変えていく必要があるのかもしれない。
いかにせん、リーダーに対してちゃんとフォロワーが現れるようなチーム作りが必要になるんだろう。
自身の発表に対するスキルというものはまだまだ未熟。リーダーとしてもまだまだ。様々なある”像”を見ることができるこういう場というのは、切り口を変えてみることでまた一つ違った学びの場になるのだと感じた。
自分自身に関して、上記のようにならぬように週明け以降。しっかりと行動を起こしていかなければいけませんね。
あ、そうそう。各部の発表はそれぞれの業務内容に関して関心があるのでまだ何とか大丈夫なんだけど、管理部の発表だけは苦手です。あの強力なラリホーに太刀打ちできる自信がありませんし、実績もありません。
“管理部の発表中、集中して起きている”という計画だけは勘弁してください
自分探しは仕事以外の方法でできる。
自分の人生戦略が描けてますか
自分を将来設計を見直すための良書
事業戦略をたてる人向け
事業計画のエッセンス
会社で風邪がはやっている。
インフルエンザという人がいないわけではないけど、ほとんどの人はただの風邪だ。比較的空気がこもりやすいうちの会社で流行っているというだけの話だ。
ところが世間一般でも風邪がはやっているらしい。こちらはインフルエンザなんだろう。同僚の子供の学校は休校になったり学級閉鎖になったりと大変みたいだ。
かくいう私も風邪をひいてしまった。恐らく席の周囲がそろって風邪をひいたのが原因だろう。コンチクショウ
症状としてはのどが痛くて鼻水が出る。咳はそれほどでもないがちょっとぼーっとする。つらくてしょうがないというわけではないが、つらくないわけでもない。もういい加減熱でもあるんじゃないか?
そう思って計るとたいてい熱がない。
なぜだ・・・・なぜ熱がない?
本来ならば熱がないことはいいことなんだが、こんなにつらいのにかかわらず”数値”としてつらさを証明することが出来ないのが悔しい。
これでは”対して仕事もしてないくせにいつも「疲れた疲れた~」って言っているやつ”みたいじゃないか!
実際のところ熱が出ないのに苦しいという状態はいい状態なんだろうか?悪い状態なんだろうか?
熱が出るっていうのは、免疫反応の表れなのだから、熱が出ないってことは免疫が弱まっているということなんじゃないのか?大丈夫かー!?俺!!
ってことでちょっと調べてみたら面白い記事があった
大人は体温調節中枢が成熟しているので、周りの環境に体温を左右されることが少ないのです。したがって、発熱しそうになっても大人は平熱を維持しようとする力が強く、発熱しにくいということができるかもしれません
ふーむ、Yahoo知恵袋には「免疫弱まってる」説が論じられていたが、上記記事では専門家が答えているので多少こちらのほうが信頼度は高いのではないかと思う。
ただ、なんだかこじつけじゃないのかな~?って思ってしまうのは私だけだろうか。
なんにせよ、数値で出ると安心してしまうのはそれはそれでだまされているんだろう。
数字のマジックは恐ろしい
10月19日の日本経済新聞の春秋でこの話題が取り上げられていた。
「合否」を決める役所の窓口に通い、自治体の長に陳情の手紙を書き、口コミ情報に耳をそばだてる。次第に他人を眺める心まで疲れてくる。1人目で苦労して、2人目をあきらめる共働き夫婦が口にする「待機ストレス」である
あながち人ごとではない。
我が家も共働きを続けることを考えている。妻が出産のためにとった育児休暇は残りわずかなので、例によって役所に保育園の申請をしに行ったのだが少なくとも12月からの入園はかなり難しいようだ。
難しい理由として一番あげられるのは中途半端な時期での入園だろう。すでに園にいる子供たちが園を巣立つのは3月と決まっているのにかかわらず、子供が保育園に入る時期というのは決まっていない。なので、多くの親は少なくとも3月までは育児休暇を延長するしか選択肢がなくなる。
こういう形で、職場復帰が遅れるということは一つの危険性が増すことを意味する。それは退職の勧告だ。
これは、共働きを想定している親としてはかなりの精神的なストレスになるのではないだろうか?働きたいのに働けない。仮に3月まで待ったとしても、そこで必ず保育園に入ることができるなんていう保証はどこにもないのだ。
受け入れる会社側としても、抜けている穴を外注を雇って埋めている場合は追加の確保が必要になるわけで、それが繰り返してしまうくらいならもういいやって考えになってしまうかもしれない。いや、これは心情的な話であって、それを理由に解雇を言い渡すと問題になるわけだが心情的には分かる気もする。それゆえに、強く言いづらい場面もあるのかもしれない。
職場や同僚に迷惑をさんざんにかけてしまったという自責の念にかかってしまう人もいるだろう。
簡単に割り切ればいいじゃないかと思うが、だれしもが割り切れるとは限らないのだ
少子化なのになぜ保育園に入ることが出来ないのだろうか?
たぶん、色々な要因はあるとは思うのだけど、少子化なのに保育園に入ることが出来ないのはなぜか…?というよりは、保育園に入れることが出来ない現状が少子化の一つの要因なのだろう。
女性の労働者や管理者というのは明らかに増えてきている。私の会社でも数年前では一人もいなかった女性管理職がチョロチョロと顔を見せ始めている。ただ、それらキャリアウーマンは若いかもしくは結婚や出産をしていない人の割合が高いように思う。
都市部とそれ以外の地域の待機児童数(数値は20年のもの)
利用児童数(%) 待機児童数(%) 7都府県・指定都市・中核市 1,023,559人( 50.6%) 15,187人( 77.7%) その他の道県 998,614 ( 49.4%) 4,363 ( 22.3%) 全国計 2,022,173 (100.0%) 19,550 (100.0%)
厚生省の資料を見ると、中核都市で待機児童の77%を占めている。少子化や高齢化といった問題がどちらかというと都市と地方の問題ともとれるが。。。
そうなると、物事はそんなに簡単にはいかないんだろう。
すべてがすべてとは言えないが「待機ストレス」という現実は、あれこれと話を聞けば聞くほど深刻なのだと感じる。
我が家でも妻の育児休暇は3月までは伸ばしたが、4月から保育園に必ず入れることができるというわけではないので、このあたりに関しては出来ることをするまで。民主党に期待はできるのか…。少なくとも我が家の問題に対しては対応が間に合うことはあるまい。