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終末のフール

伊坂幸太郎著「終末のフール」を読んだ

終末のフール (集英社文庫)
伊坂 幸太郎
集英社
売り上げランキング: 14001

地球に隕石が落ちて人類の存亡は絶望的になるだろう。

そういう状況下におかれた人々の物語を集めた作品だ。
伊坂幸太郎著というと、イメージとしては何かしらの大逆転的なものをどうしても期待してしまう。
本書もそういうところがない訳ではないんだけど、、、。例えば同じように短編を集めたような構成をとっている作品に死神の精度がある。

死神の精度 (文春文庫)
死神の精度 (文春文庫)

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伊坂 幸太郎
文藝春秋
売り上げランキング: 4068

それと比べると、ちょっと「びっくり」感や「してやられた」感というのは薄く感じる。
いつも通り、最終的にどんでん返し的に人々が救われる訳でもなく終わるあたりは伊坂幸太郎らしいと言えばらしいんだけどね。

砂漠

西嶋がぱかっと口を開き、「その気になればね、砂漠にだって雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」と断言した(p.18)

砂漠 (新潮文庫)
砂漠 (新潮文庫)

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伊坂 幸太郎
新潮社
売り上げランキング: 3077

大学は、これまでは地域という限られたコミュニティの中で過ごしてきた人間にとって一気に視野の広がる場だと思う。
親元からの解放も相まって、実に個性的な面々が集まることもそれほど珍しくないのではないだろうか。
「砂漠」はそんな大学生たちの物語。

物語の登場人物の中で一際目立っているのが冒頭に引用した西嶋だ。
西嶋の何ともいえない数々の言動が、何とも大学生らしいというかなんというか。ちょっと懐かしくなってしまうね。
考えてみると大学を卒業してからもう10年以上もたっているんだもんな。

結局なんだかんだで最初に入った会社にずっといる訳なんだが、、、
自分は雪を降らせることが出来るのだろうか。
せっかくなんだから大雪を降らせたいですね!

なんてことはまるでない

JavaScript パターン

JavaScript パターンを読んだ

JavaScriptパターン ―優れたアプリケーションのための作法
Stoyan Stefanov
オライリージャパン
売り上げランキング: 2892

仕事でJavaScriptを使っているといえば使っている。
ただ、JavaScriptに関しては結構いい加減なアプローチだった。これまでは。
ただ、昨今の流れを見てみると、JavaScriptの重要性は格段に上がっている。ブラウザのみならずnode.jsのようなサーバーサイドで動作するJavaScriptまで出てきている。
こうなってくると、否が応でもその「プラクティス」を学ぶ必要性が出てくる。
もう、適当にやってやり過ごす対象ではなくなってしまったわけだ。

私自身がコードを書くことはもうすっかり稀になってしまったけど、だからといって私としても開発者という肩書きを捨てるつもりはない。
そういうこともあって、本書を手にとってみた。

読んでみると、グローバル変数やオブジェクトの構築方法から様々なメソッドが掲載されている。
振り返って、社内のコードを見返してみると、いくつかのアンチパターンとして照会されているコードも見受けられた。

もちろん、本書に書いてあるのはそうしている理由があって、同僚が書いたコードにはどういう理由があるのか。
何かしらの理由があってそうしているのか、単純にこうしたほうがいいという考え方を知らないだけなのか。
本書を共有した上で、それらに対して議論をしたいところだ。
人が何を考えてそれらのコードを書いているのか。どうするのがベストだと考えるのか。
こういう事を考えるのは、結構楽しいと私は思ってしまう。

あなたはどう考えるのか。

枠からはみ出す仕事術

地震のゴタゴタがあったおかげで、随分と読んでいない本がたまってしまった。遅ればせながら美崎さんの新刊を読んだ

枠からはみ出す仕事術
枠からはみ出す仕事術

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美崎 栄一郎
サンマーク出版
売り上げランキング: 3999

読んでみて最初に思ったのは、美崎さんも随分と苦労してきているんだなってこと。
初めて美崎さんと会ったのは、今はどうも行われているのか行われていないのか怪しくなってしまったジョブウェブの朝食会。
今記録を見返してみると、2008年の夏の話か。
色々精力的に活動されている話を聞き、周りが比較的私よりも若い世代だったこともあって
「私ももっと早くな~」
的なことを言ったときに美崎さんが
「いや、私も始めたのは最近ですよ」
と話されていたのを思い出す。
今の時点はもちろん、あの時点に行くまで、本に書いている以上のあれこれがあったんだろうな、、、と考える。

成功の予測、失敗の予測

そこで私は、上司への腹いせ、ストレス発散のために、どうせ失敗するなら100パーセント予測どおりに失敗させることにこだわりました。(p.109)

失敗が予想される実験をひたすらにやらされる際のエピソード。本書を読んでいると、たびたび出てくるのが「上司への腹いせ」的な行動だ(笑)
ただ、この「(成功・失敗の)予測」とその結果の突き合わせと言うのはとても大事であることを再認識するエピソードでもあった。
自分自身がコントロールできる作業や内容であればもちろんそれは失敗しないように修正をかけていくところだが、他人が立てた計画に関しては時として失敗の予測がたっても放置する時がある。
どう考え、どう動くのかを見たい時だ。
ただ、あくまで”なんとなく失敗するだろうな”程度にしか考えていない。それはたぶん、観察が足りていないんだと思う。

よく見、よく考える。何が起きるのか考える力を磨いていかないといけない

小うるさい平社員

考えてみると、私が入社して間もないころはよく仕事の合間に遊んでいた。
与えられた仕事を予定よりさっさと切り上げてしまい、そのすきま時間でちょっとした便利ツールを作るのだ。
「このあたりの設定が面倒だ」
「~をするのに時間がかかるな」
と言う話を聞いて、「そうなんだ~」とだけそっけなく答える。そしてこそこそツールを作って渡す。
ツールを作ることで、自分自身の少ない経験値を少しでも貯めるついでにちょっとした恩を売っておく。
代わりに、ちょっと小うるさく話をしても許してもらえる。
そんな感じの過ごし方だった。

いつの間にか、そういうことをやらなくなってしまったな。

それはやっぱり、デスマーチと呼ばれるようなプロジェクトへの投入や多少なりとも立場の変化。価値観の変化もあったんだろう。
色々と本を読んでみもした。ただ、小手先で実行したとしても忙しくなるといい加減になる。

本に書いてあるノウハウは「知る」ものではないからです。「インストール」して実行する事に意味があるのです(p.87)

つまり、それを「実行し続ける」、「自分のものにする」と言う状態に持っていけていないわけだ。
インストールしたツールが私と言う環境に対して合うように設定変更されていない状態。使えなくはないけど、万全ではない。
そして忙しくなると楽な道を選んでしまい、中途半端な状態になってしまう。
本来、「楽な道」であるはずのツールのインストールが負荷になってしまっているわけだ。これじゃ本末転倒ですね。
ふむぅ。

どう枠からはみ出すのか

その他、「運」と「実力」の境界線等々考えさせられる内容があった。面白い。
サラリーマンと言う立場を続けたまま著作活動をされている美崎さんは、セミナーに行ってもやはり人気だ。同じサラリーマンという立場と、持ち前のキャラクターが原因だろう。
美崎さんに影響されてセミナーを主催したりする人も結構いた。
ただ、ある時から少し違和感を感じるようになった。
一派から派生したセミナーは、似たような内容、同じゲストの集まりになりやすい。応援する人が同じだから。
また、有名な著者が来ればそれは有名な著者の集まりになる。
さらに、これは私の残念な性格故なのだが、周りが好き好き人間ばかりになって、一種の信者のように見えてくる。偏屈な私には少し情熱的すぎだ。

今となってしまえば、そんなに気にする必要はなかったのではないかとも思うんだけど、そんな風に考えていた時期が確かにあった。
んー、単純にガキなだけなのかもしれない。
自分自身が、相手と対等に向き合うことができる魅力を持っていないと考え、前に出ていかずにそれでいてぐずっている。
そんなところであろうか。ちょっと痛いな。
もう少し、まともな枠からのはみ出し方をしていかないと、はみ出した先がひどいことになりそうだ

文字コード技術入門

ちょっと前から気になっていた本を読んだ

基礎、基礎、基礎

私のように、会社に入ってからプログラムを触り始めた人間は、基礎の積み上げがない。普通であれば、早期にそれらを積み上げて行くんだろうけど、私の適当な性格が災いして結局のところまともな基礎ができていない。
そのせいで、結構苦労していたりする。ただ、それはわかっていても基礎はめんどくさいものだ。

本書が題材としている「文字コード」に関してもやはりそういう基礎の一つだろう。以前どこかのブログか雑誌で紹介されており、プログラマなら必読だ!みたいなことが書いてあったのを覚えている。プログラマってひとくくりにして必読って言うのもなんだかなぁという気がしないではない。
ある程度のところまでは適当にかじった程度で通じるんだけど、それ以上になるとちょっと頭がこんがらがる。そんな内容だ。

前半の文字コードがこれまでどういう変遷をたどってきたのかということに関しては、興味がなければ飛ばしてしまうのが一番のように思える。
なんとなくの文字コードの現在の形。そして、各コード体系間の変換において何が問題となるのかを把握しておくのが大事なんだろう。
。。。
って、そうやって飛ばすと基礎にならないかな。。。?

偶然にも

偶然の産物であるが、本書を読んでいるうちにたまたま文字コードに起因するトラブルを2回ほど経験した。一つはShift_JISから中国の簡体字であるGB2312へのコード変換。
もう一つはありがちではあるがShift_JISとUnicodeとのコード変換時に発生する波ダッシュにまつわる問題。

本書を読んだからと言って直接的な解決に結びつくわけではないんだけど、何が起きているのか?と言うことの理解には間違いなく貢献してくれた。
そういう意味では個人的にはとてもタイムリーでよかったが、そういうことがなければ結局使う場面がなくて忘れてしまったかもしれない。。。

文字にまつわるプログラミングをする人にとっては結構大事な技術要素ではあるんだけど、そんなに複数の異なるコード体系を用いたプロジェクトに従事していなければ、あまり意識しなくてもなんとかなってしまうのもまた事実かと。
人それぞれってところなんでしょうね。

Kindle検討中

最近、Kindleが気になっている。
Twitterで@さんや@さんがしきりに話題にしているのがきっかけだ。

実際問題、電子書籍ってどうなんだろーと、これまであまり興味を持って調べていなかったので色々と調べてみた。電子書籍はもちろん、Kindleやソニーリーダー。そして電子書籍リーダーとしてのiPadに関してだ。

電子書籍から見てみると

まず、現状で言うのであれば日本語のコンテンツ目的に手を出すべきではないんじゃないかと思う。もちろん、日本語コンテンツが全然ないとか、魅力ある本が電子書籍になっていないとかいうわけじゃない。ただ、提供されている形と言うのはとてもばらばらだ。
私が電子書籍として持っているのは、iPhoneアプリとして5~6冊。それに先日の無料キャンペーンで入手したディスカバー21フォーマットのものになる。

電子書籍のメリットは、そのデータであるが故の持ち運びのしやすさや省スペース性。また、若干ではあるけど紙媒体よりも廉価であることだろう。値段に影響があるということは、やはりその安くなった分だけコストが抑えられているということでしばらくは物議をかもしだしそうだけど。主に小売側からみた場合だけど。
また、電子であるので私のようにパソコンを多用する生活をしている人間にとっては、内容の引用がしやすいのではないかと言う期待がある。。。これは実際に出来るのかは知らないけど。ただ、「あの内容どこに書いてあったっけ?」って時に検索が出来ると言うのはとてもありがたい。
出来ることなら書籍をまたいで検索をしてほしいものだが、さすがにそこまでは機能を持っていないんじゃないかとも思う。でも、あったらすごい欲しい機能だ。

電子書籍の現状ではEPUBという形式が国際標準になりつつあるらしい。ただ、一番の物量を持っているAmazonはAmazon独自のフォーマットを採用しているので、果たして何を持っての国際標準としているのかが難しい。また、同じ形式であったとしてもDRMと言う問題もあるのでこれまた一概にも行かないのが現状らしい。

電子書籍端末は?

純粋に書籍リーダーであるソニーやKindleと、書籍リーダー”としても”使えるiPadに分かれる。
単純に書籍リーダーとして見た場合にはiPadは大きすぎるし重い。Kindleやソニーリーダーのほうが視認性も高いことからそちらに軍配があがるだろう。もちろん、iPadは書籍リーダー以外の使い道がむしろメインになるのではないかと思っている。そういう意味では目的がちょっと違うのではないかとも思う。特に私が想定している使い方は、通勤の電車で使うことなので、重さは結構重要だ。
Kindleを推す人が言う、iPadにはなくKindleの利点で時々「iPadだとついついTwitterとか別のことをしてしまう」と言う話を耳にするが、これは正直言って関係ないと思っている。別なことをしてしまう人は、結局iPhoneなり携帯なりを取りだしてやってしまうだろうし。まさに私なんか。
ただ、Kindleは洋書を読むことに対して覚悟ができるかもしれない。「こいつと付き合っていくんだ」と言う感じで。
そういう意味ではiPadは別な使い方が出来てしまうがゆえに、逃げ道を作ってしまいやすいと言えばそうなんだろう。目的から考えるのであれば私の場合はKindleだ。

とはいえ、Kindle3がいくら安くなって円高な現状であるとはいえ、約2万円することになる。
普段購入する本が1500円くらいなので、13冊くらいだろうか。さらにそこから本の購入代金やらが必要となる。
これを、安いと取るか高いと取るか・・・だ。
正直言って、実際に触ってみたい。また、使っている人の生の声を聞いてみたいと言うところだ。
Kindleをレビューしているサイトはいくつかあるんだけど、友人で使っている人は私の知っている限りではいない。あまり、「誰か買わないかな~」って言ってると「お前が買えよ」って言われてしまうので藪蛇になってしまう。
悩ましいぜ

そうこうしているうちにびっくりする機能を携えたKindle4みたいなのが出ないかな(笑)

ソーシャルメディア革命

出版社であるディスカバー21がキャンペーンで無料配布していたのを発見。なんとか期限ギリギリに手に入れることができて読むことができた

ソーシャルメディア革命
立入 勝義
ディスカヴァー・トゥエンティワン
売り上げランキング: 6738

最近、はソーシャルメディアやソーシャルネットワーク関連の記事やブログ、書籍が大変目に付きますね。急に盛り上がってきたので、なんだか恣意的なものがあるんじゃないか!?と思わずにはいられませんが、気のせいでしょう。

本書は「意力」ブログの著者である立入氏が、米国で感じているソーシャルメディアの現状と、その視点で見た日本の現状をつづったもの。私自身こうやってブログを書いている手前、色々と考えさせられる内容だった。

意力ブログ
http://ichikara.sakurainternetusa.com/

メディアとして

ソーシャルメディアの主役はソーシャルを構成する我々一般の社会人であって、新聞やテレビに代表されるようなマスメディアとは対極に位置する。これが一つのソーシャルメディアの定義になる。
私たちがメディアとして発信するとすれば方法としては

  • Twitter
  • Blog
  • SNS
  • ML

とかとか。いわゆるインターネットを利用することが多いことになる。
インターネットは誰もがアクセスでき、誰でもこれらのメディアツールを使うことができる。つまり、すでに誰もが感じているように情報があふれている状態が現在だ。
情報の中には正しいものもあれば、誤っているものもある。悪意のある誤りもあれば、思い違いからくるものもある。思わず考えさせられてしまうような示唆に富んだものもある。
それらの情報にたどりつくにはどうするのか。何を持って自分の情報をコントロールするのか。これが重要になる。

翻って情報を発信する立場となると、何を持ってそれを言うのかが問題になる。自分自身がそれを発信したからと言って、情報の受け手が参考になるだろうか?参考になるためには自分はどういう自分であるべきなのか?
個人が発信する場合、やはり本業とよほどリンクしていなければなかなか難しいのが現状だと思う。また、考えなければいけないのは、何のために。何の目的でそれらの活動を行っているのかを確認することだと思っている。
ブログを書いたりする時に、昔から言われていることではあるんだけど「何かに特化する」「毎日続ける」がある。私はこれがなかなかできない。話があちこちと分散してしまう。あれも書きたいこれも書きたい。単純に、思っていることを書いているだけ。
それ自体は自分自身でもそんなに悪いわけじゃないとは思うんだけど、それは結局のところ自分のためにしかならないんだよね。それでよいと言えばそれでもよいし、同じ時間を使うのであれば、もっと広い範囲に自分の可能性を求めるきっかけにもなるんじゃないのかな?そういうことにチャレンジしてみるのもワクワクすることなんだろう。

言語の壁

これは、最近よく思うことで年末から私自身も勉強を始めたことだ。
ソーシャルメディア…というか、IT系の技術はやっぱり米国発のものが多かったりする。マニュアルに関してはなんとか訳すことはできなくはないんだけど、ビデオを訳すことはさすがにできない。
もちろん、情報を発信することもできない。実際にはできないと思い込んでいる…というのが正しいのかもしれないな、これは。
日本にいると、どちらかと言うと「現状維持」を無意識のうちに意識してしまっているような感覚がある。「現状維持」で問題が本当に問題ないのであればそれももしかしたら一つの道なのかもしれないが、昨今の情勢を見ている限りではそんなに楽観出来る状態ではないように感じる。
ただ、英語がどんなにできたとしても、結局のところ情報の発信や受信をしなければ意味がない。英語や言語はあくまでツール。何をしたいのか。何をどこに発信したいのか?ということによっては英語じゃなく中国語やハングルなんてのもありだと思う。

何が革命か

そもそものタイトルであるこの”ソーシャルメディア革命”は何が革命なのか。本書ではそれを我々の情報に対する意識の変化だとしている。
確かに最近、私の情報源となるのは@ITに代表されるような企業が営んでいるページよりもむしろブログやTwitter経由をきっかけとする情報のほうが増えてきている。逆に、これまでの情報源だったそれらサイトに対する意識と言うものはどんどん減りつつある。
もちろん、業務が深く結びついたようなコアな情報は個人のブログでネタにされることは少ないためにまだ企業側に力点がある。だが、それもこの先も続くとは限らないだろう。
それら情報の洪水が起きている中で、私たちはどうしていくのか。また、ブログを書く側としては何を発信していくのか。読み終わった後も、今も考えている。

ちなみに、著者のブログ「意力」では本書に関しての補足もブログで行われているようなので、ぜひ合わせて読んでみてはいかがでしょうか

オペレーショナルインテリジェンス

オペレーショナルインテリジェンスを読んだ

オペレーショナル・インテリジェンス―意思決定のための作戦情報理論
松村 劭
日本経済新聞社
売り上げランキング: 94166

これは、以前に「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」さんで取り上げられていたもの

陸上自衛隊作戦幕僚の情報理論「オペレーショナル・インテリジェンス」
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/07/post_3d37.html

レビューを読んで、とても気になった。気になってAmazonを探してみたがどうやらすでに新刊では売られていなかった。というわけで中古で購入。レビューにある通り、情報というものに対しての考え方というものを再考させられる著作だった。

情報とは。そして情報を考える上で気をつけること

“情報”というもの。普通に私が考えると、これを英語にするとInformationになる。著者は、普段我々が接しているいわゆる”情報”は情報足り得ていない。本来の情報(Intelligence)とは、集めてきた情報に対して目的に合致しているか。真偽のほどはどうか。これら判断をしたものになる。判断をしていないものは”情報資料”と呼び、こちらがInformationになる。
このあたり、何を何と呼ぶのか?と言うところはあまり問題ではないが、この二つを混同して考えると大変なことになるのはもっともな話。特に現状のWEBをリソースとした情報に関しては特にそれが言えるだろう。

本書では情報について考えるポイントを3つあげている

  • 情報と、情報資料を明確に区分する
  • 決断に間に合うのか。行動はできるのか
  • 変化する情報か、変化しない情報か

順番的にはこう紹介されていたけど、個人的には2番目が最後だとは思っている。
これ、仕事でもよく思うことだ。何か物事を報告されたり問題に対しての相談を受けることがよくあるんだけど、言っている内容がどういう内容なのかの説明がなかったり遅れていたりする。そのうえで判断やアドバイスを求めてきたりする。何度言ってもそれが繰り返されてしまう。すでに考えることをやめてしまっているのではないかと思ってしまうくらいに。
また、目的があっての情報収集であるはずが、情報収集の傍らで情報収集そのものが目的にすり替わってしまうような行動をしてしまうこと。これも注意しなければいけないこと。目的を達成するために必要な情報以上の情報収集をしているがゆえに、タイミングを逃してしまっては元も子もない。このあたりは、さすがに当たり前すぎて本書では触れられていない。技術者が時々陥りやすいことと言えば陥りやすいことではないかと思う。

シソーラスを作る

シソーラス。これって一般的に知られている用語なんだろうか。ちなみに私は知らなかった
Wikipediaによると

シソーラス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B9

単語の上位/下位関係、部分/全体関係、同義関係、類義関係などによって単語を分類し、体系づけた辞書。

となっている。分類辞書。情報に対しての話で言うとカテゴリーだとかタグだとかがそれに値するのではないだろうか。
私は昨年末あたりから本格的にEvernoteを利用し始めている。Evernoteに限った話ではないんだけど、色々な情報をどこかしらに集約させた場合は、どうやって必要となる情報をその中から導き出すのかというのがカギになる。そのための自分用のシソーラスを構築する必要があるわけだ。

本来情報には目的がある。すでに集めた情報の中には結局のところ目的に合致しないものもあれば、時間が経過したことによって目的を終えてしまったもの。意味の無くなってしまったものもある。
シソーラスに対して時間的なものを導入しようとすると、必ずしも上下関係のあるカテゴリーよりはタグのほうが管理しやすいと考える。
また、目的の上下関係を超えて共有するようなタグもあるだろう。

ブリーフィング

ソフトウェア業界で働いていると、、、、というか、そんなに別の会社の状況を知っているわけではないんだけどメールに頼ってしまいがちだ。
余程の簡単なことでない限りメールで指示を出している。メールで指示を出す一つの目的はリマインダーの役目。実際問題、言った言わないの話が曖昧な記憶に頼ってしまうのは危険だと思っている。
ただ、本書で述べているようにお互いの顔を合わせての意思疎通。そこで初めて分かることも多い。
リマインダーはリマインダーとして、ブリーフィング後にメールを出せばいいんだけど、そこでメールを出すくらいなら最初からメールでいいじゃんというように思ってしまうんだけど、もしかしたらそれは効率化につながっていないのではないか?と最近強く思い始めた。
作業は出来るかもしれないけど、それが作業以上にならない。何時まで経っても自分の仕事にならずに、どこか他人ごとのように作業をしている。
自分自身の行動に関して、今一度見直すべきなんだろう。

“情報”というのは、収集・伝達・判断・保存そのどれもが難しく、だからこそちゃんと考えないといけない分野。自分自身の身の回りの情報ルートや記録の仕方は定期的に見直しをかけていかなければいけない。
めまぐるしく動くWebがあるからこそ、自分は今ここにいるのだし、これからもそうだ。

通貨経済学入門

宿輪先生の新著「通貨経済学入門」を読んだ

通貨経済学入門
通貨経済学入門

posted with amazlet at 11.01.09
宿輪 純一
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 5599

直前に読んだハーバードの「世界を動かす授業」が経済状態を政治に絡ませて説明していたのに対して、本著は通貨というものに対して昇天を当てて世界経済を見ている。
ただ、読み物と言うよりはどちらかというとやっぱり通貨経済に対する”教科書”の色が強いように感じる。そういう意味では教科書が苦手な私には序盤が読むのが大変だった。しかし、終盤に行くにつれ前半の内容理解も進んでいき、最終的にはなかなか面白く読むことができたと思っている。苦手意識を持っているのでちょっと意外だった。

通貨制度に対しての理解度

通貨制度という点において、「変動相場制」だとか「固定相場制」という言葉はもちろん知っているし、基本的な変動相場のメカニズムに関しても理解しているつもりだ。
ただ、実際のところ貿易においてどうお金が流れているのか。それが固定相場の場合は?という風に考えてみると、結構わかってないことが分かった。ううん、ちょっとがっかりだ。
たとえばものを輸出した場合。取引をドル建てで行うのであれば企業はものと引き換えにドルを得る。最終的には円に両替することになるわけで、ドルが売られて円が買われる。つまりその分円高になる。変動相場に対してはたぶん大丈夫。
これを固定相場に置き換えた場合がイマイチピンとこない。固定相場においての相場は通貨当局によって固定されている。つまり、企業が得た外貨は市場ではなくて通貨当局に両替してもらうことになるのかな。つまりは、輸入>輸出の関係が成り立っている場合には通貨当局の外貨準備は増えていくことになる。外貨準備が増えていくってことは、それ相応の国内通貨を供給したということになる。その場合、国内の通貨供給量の総量が増えることになるので国内経済はインフレに向かいやすくなってしまう。逆のケースで考えると、保有している外貨準備が底をついた段階で両替が不可能になってしまう。それを起こさないためには、金利をあげ、外からの通貨への”入り”を増やして手に入れる必要が出てくる。
うーん、固定相場は単純に”固定”だから単純じゃーんって思っていたけど、ほとんどが知らない内容だった。しかもそれを説明しようとすると大変だ。

経常収支

本書では通貨危機の発生原因の一つとして通貨のファンダメンタルズというものを取り上げている。ファンダメンタルズの構成要素として出されているのが

  • 経常収支
  • インフレ率
  • 経済成長率
  • 財政収支
  • 相場の予想

としている。注目は経常収支の中でも貿易収支であったのが、昨今は投資に対しての収支を注目・・・と。
イマイチピンとこなかったので、調べてみた。財務省と日銀が出している国際収支統計というものに、経常収支が載っているようだ。ちなみに国際収支統計はWikipediaによると

国際収支統計
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8F%8E%E6%94%AF%E7%B5%B1%E8%A8%88

一定期間における国(またはそれに準ずる地域)の対外経済取引(財・サービス・所得の取引、対外資産・負債の増減に関する取引、移転取引)を記録した統計である。大まかに経常収支、資本収支、外貨準備増減の3つに分けられ、またその中でさらに細分化される。

経常収支の中には投資に対するものと言うのは所得収支がある。ただ、国際収支統計にある経常収支と並んで報告されている資本収支というものもある。この二つの関係性がよくわからない。文言だけを見る限りだと、結構被っていそうな印象を受ける。
というか、「経常収支」「国際収支」「国債収支」「投資収支」なんたらかんたら・・・

ああああーー(頭をかきむしる)

こういう言葉。普段から知っておけよ!という言葉もあれば初耳な言葉もいくつかあって頭の中でゴチャゴチャしてくる。物覚えの悪い私にはやっぱり教科書は大変だ。

ちょっと区分けしてみよう

以前読んだ「ハーバードの世界を動かす授業」では世界をいくつかの国々に分割して考えていた。そこで分割された国々に、通貨と言う視点を加えてみたらどうなるだろうか。P.82に掲載されている表2-1-1に基づいてやってみた

区分け 国・地域 通貨制度
高度成長のアジア シンガポール 管理変動相場制
中国 アジャスタブル・ペッグ制
香港 カレンシーボード制
インド 管理変動相場制
資源に依存する国々 サウジアラビア 伝統的固定相場制
ロシア その他の固定相場制
狭まって身動きが取れない国々 メキシコ 管理変動相場制
南アフリカ共和国 管理変動相場制
欧州連合 EU 自由変動相場制
巨大債務に悩む富裕国 日本 自由変動相場制
アメリカ 自由変動相場制

こうしてみると、やはり資源国や発展途上のアジアに関して言うと何かしらの政府の関与が色濃く、そのフェーズを越えたと思われる国々は変動相場を採用しているように見える。すでに、政府側で相場を固定にするメリットが薄くなってしまったということだろうか。
やってみたものの、それなりに予想通りではあったのでなんとも。もう少し違う視点をつけるには知識が足りないな。

それにしても

株だとか日経新聞だとかを読んだりしている割に、未だに基本的なことがあれこれと理解していないんだなとつくづく実感してしまうのが正直なところですね。
それでも、これまで宿輪ゼミでチンプンカンプンだったコルレス銀行の話も出てきてようやく少しわかったり、その他いくつかの気付きを得ることができた。

経済って、すごい身近にある話にもかかわらずあまり意識されない。どこか、他人事のように扱われている気がする。もちろん、景気動向のようなものに対しては結構敏感なんだけど、それでも発想は”円高・円安”、”失業率”くらいではないだろうか。
これら知識を知ることによって、景気が良くなるわけではない。
ただ、今何が起きているのか。この先何が起きればどういうことになるだろうかという予測を立てることは人生設計において大事な内容だと思う。
もちろん、知識は使ってこそ。どう生かすかは自分次第だ

どうして羽生さんだけそんなに強いんですか

梅田望夫氏著。「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」を読んだ

どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語
梅田望夫
中央公論新社
売り上げランキング: 6589

TwitterのTL上にひたすらリツィートされて、正直嫌気がさしていた。ただ、子供のころによく亡きオヤジと将棋をやったな…と懐かしむ気もありつつ購入。結局まんまと乗せられた格好だろうか。
本書は現代の将棋界をあまり知らない人から来る素朴な疑問「どうして羽生さんだけが、そんなに強いのか」というものに対する答えを、実際に大局している棋士やそれを取り巻く人の目線。考え方や発言をもとに梅田氏が説いているもの。

単純に考えるのであれば

そもそも、現在どういう棋士が活躍しているのかを知らない人たちにとっては羽生さんしか知らない。もちろん私も知らない。
それは、情報として表に出てくる内容が「羽生○冠達成」みたいな情報だけだから。「○冠達成」ということは、今回奪取したタイトルは羽生さんは前回負けていたということだが、将棋好き以外の耳に入ってくる情報と言うのは勝った時だけだ。しかも、連続で勝つか複数のタイトルを(しかも多くの)取った時だけ。そもそも羽生さんが7冠なんて達成してしまった以上、4~5冠で大きく報じられるだろうか。それすら心配になってくる。せいぜい新聞の片隅に書かれる程度でテレビでは報じされもしないだろう。

どうして?

とはいえ、結局露出してくるのが羽生さんだけということは、ぬきんでていることだけは確かなんだろう。そういう意味では私の考えは答えになっていない。ただ、”どうして?”というのは、将棋だけに言えることではないがどれも理由にならないのではないかと思う。
「こういう考え方ができるから」 → 「そう考えればいいの?そう考えれるのはどうして?」
「こういう背景があったから」 → 「そういう背景があればいいの?」
つまり、そもそも漠然とした疑問なので漠然とした回答にしかならないのではないのかな。「どうして?」の真意があればその真意に対して答えることになろうが、真意無き疑問に明確な答えは出しづらい。
梅田氏の出した内容に対して異議があるわけではまるでないけど、そう考えてしまうのはひねくれ者の発想だろうか

ただ、将棋というものの戦法を編み出していく過程に対しての考え方がとても面白かった。

将棋でも、日々研究がおこなわれていてあれこれとしたアイデアが生まれる。アイデアは山のように出てきてはいるが、実際の戦いで使ってみないと、本当のところでは使えるアイデアだったのかが分からなかったりする。そしてそれは技術やビジネスにおいても言えることではないか?というもの。

なるほど、確かに。
技術者はあれこれと考える。新しい機能を考えてみたり新しいインターフェースを考えてみたり。それに対して需要や実現性、コスト等に関して検討したりするが、実際にそれを市場に出してみないとわからないことが多い。大まかな流れは、どの世界においてもやはり共通するものがあるということだ。

さて、ではこれを読んで私はどうするのか?
・自分が戦場としている場所にどう向き合うのか
・本質はどこにあるのか。それを見抜くための判断力や対応力を身につけるには
等々に対して向き合っていくことだろうか。
ふむぅ、一筋縄ではいきませんね

余談

そういえば、私に将棋を教えたのはオヤジだった。いつ頃から、何をきっかけで始めたのかはすっかり忘れてしまったが、少なくとも小学校1年くらいから駒に触っていたように思う。もっぱらの相手はオヤジだったけど、近所の公民館で将棋盤や駒を貸してくれて時々友人たちとも将棋をしていた記憶がある。
中学ぐらいまでは友人同士でもやっていたのではないだろうか。今から考えると、随分とまぁ。。。今の世代には受け入れられないだろうな、そんな話。ただ、携帯ゲーム機のようなものはなかった時代だ。そういう意味では遊び道具に近かったんだろう。打っていたと言っても勉強していたわけじゃないから、陣形や囲いのようなものは見よう見まね。臨機応変に組み立てられないからかえって失敗してばっかりであった。
懐かしい。

実は現代において将棋は人気がなくて、あんまり棋士っていないんじゃないだろうか?なんて思って調べてみた。
Wikipediaによると

http://ja.wikipedia.org/wiki/将棋
1年に1回以上将棋を指す15歳以上のいわゆる「将棋人口」は、1985年度の1680万人から、2005年度840万人、2006年度710万人と大幅に減少し、漸減傾向が続いている。

うん、一気に減ってはいるね。
囲碁は碁石が白黒だけど将棋は漢字が書かれていることや、似たゲーム(チェス)があちこちにあることが将棋の国際化を阻んでいるらしい。チェスとかと違って、将棋は取った相手の駒を再利用することができる点がとてもゲームを面白くしていると思うんだけど、難しいがゆえに広まらないのだろうか。