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有為・無為

昨日、「自分は堕落していた」的なことを書いた。

堕落していたと言ってみたものの、じゃぁそれ以前。
つまり、ブログを欠かすことなく毎日書き続けた日々は果たして有為だったのだろうか。

何をもって有為・無為と判断するのか。
それは結局のところ、自分がどう日常を捉えるのかによって変わってくるのだと思う。

ゲームや漫画を楽しんでいながらも有為な日々を送る人もいれば、
ひたすら勉強や仕事を頑張ったとしても無為だと思いながら日々を送る人もいる。

当たり前のことなんだけど、最終的に何が自分にとって有為なのか、無為なのかはわからない。
そう思って、そう考えて、そう行動してその場ではそれで納得しつつも
それでももっと有為な日々を送ることができるのではないだろうかと考えながら過ごす。

そんな風に、少しずつ自分を成長させていきたいものだとふと考えた。
考えたのであって、、行動できるとは限らない。

そんな独り言。

食材のカタチ

先日、実家に遊びに行った際に母から手作りのケーキを貰った。親戚にも好評のニンジンのすりおろしとクルミが入ったケーキ。実家に住んでいたころによく食べたものだ。家に帰り、もらったケーキを嫁と食べていたときに
ガリッ
と、何か硬いものを噛んでしまった。出してみるとクルミの殻だった。それを見た嫁が

「なんでクルミの殻が入ってるんだろう?お母さん、クルミ割るところから作ってるんだ。すごいね」

なるほど、それはすごいことなのか。確かにクルミをそのまま殻ごと買うよりも、今では割った中身だけを売っているので圧倒的にそちらのほうが楽だ。実際のところお店で探した場合でも、”クルミ”として売っているのは割った状態のものがパックされたもので殻はついていない。殻つきはわざわざ”殻付きクルミ”として売られている。
私自身は子供のころから母がケーキを作るときにはひたすらクルミ割りを手伝わされたりしていたので、”クルミを割って使う”という行為そのものに何の疑問も持っていなかった。

別にそれが悪いことじゃないよ

あらかじめ言っておくと、割られたクルミは便利でいいものだと思う。実際に私は子供のころ、積み上げられたクルミをひたすらに向き続ける作業が苦痛で、一時期クルミに対して嫌悪感を覚えた時期もあった。見たら気持ちが悪くなってしまうくらい。
クルミに限った話ではないけど、自然の木の実や食材の多くはすぐに食べられる状態ではなくひと手間かかるものが多い。クルミに関して言ってしまうと、殻つきでは各家庭に割るための金具やらが必要になってしまう。ちなみに私の実家ではこんなようなものを使っていた。こんなに高いものではないと思うけど

輸送コストを考えても割ったものの方が安く済むだろう。それらを考えてもやはりむき身の物のほうがメリットはある。男手があるならばまだしも、お菓子作りでクルミを使う時に一つ一つ割って使うのはなかなかの苦労だ。

それでいいのだろうかという漠然とした不安

私も知らないことばかりだ。ただ、知っていないと生きていけないというたぐいのものでは無いと思う。少なくとも現代社会においては。便利なものはどんどん使っていったほうがいいし、面倒なことでストレスをため込んで周りに迷惑をかけるくらいなら、ゆとりを持った形の行動をとったほうがいいと思う。
一方で、そういった加工した状態のものばかりが出回ってしまうことに対する「本当はどんな形なのか」を知らないままでいいのか?という漠然とした不安がある。これは加工した食材だけでなく、たとえば野菜がどんなふうに畑で採れるのか?ということにも言えると思う。

この話は別に料理に限った話ではないと思う。仕事にしても、効率化を推し進めていく中で、非効率な作業を外注化する。そしてその業務に対しての知識がない状態での業務が続き、いざとなった時に困ることになる。
かといって、それらを恒常的に教育していくとなるとそれはそれで非効率な気がしていく。
さてはて。困ったものだ。まだまだ考察が足りないですね

ホームセンターには魔物がすむ

今日はとても風の強い日でした。
洗濯物を外に干していたのですが、強い風にあおられて物干し竿が落下。あえなくつるしていたハンガーがぶち壊れてしまいました。こんなやつですね

うちのはプラスチック製でもっとちゃっちいものだったので、吊るしている部分がブチっといってしまったわけですよ。もうね、洗濯物が落ちて汚れたのと合わさって嫁、半狂乱。俺、なぜか誤る。

というわけで、家から少し行ったことにある、前々から気になっていたホームセンターに行ってきました

SUPER VIVA HOME 新習志野店
http://shop.vivahome.co.jp/user/svh/shinnarashino_svh/

ホームセンター
なんて恐ろしい響きでしょう。

ひとたび足を踏み入れれば老若男女問わず目を輝かせて歩きまわりたくなるあの空間。パソコン好きを秋葉原に放つようなものですね。というわけで私は立ち寄った目的以外のものを中心にウロウロしていました。
それにしても、色々ある。なんでこれまで立ち寄らなかったのか小一時間後悔してしまうくらいに色々ありました。

色々ある中で目を引いたのは、陶芸教室も開かれているところ。これまで体験では何度かやったことはありますが、ちゃんとした教室ではやっていなかったのでこれは気になるところです。
問題は…時間ですねぇ。土日のみになってしまうのでこのあたりは要調整です。

そして、なかなかおもしろかったのは文房具。ここではいくつか手を出しましたが、これまで使っていなかったアイテムとしてマスキングテープを購入してみました。

mt マスキングテープ 6P【和紋/WAMON】 MT06P001

mt マスキングテープ 6P【和紋/WAMON】 MT06P001

実はノートに物を張るときに今まではノリを使っていたのですが、もう少し手早く張ったり面白さを出せないかな~と。先日ノート勉強会の時に美崎さんも使っていたのを思い出して購入してみました。

それにしても広かった。特に、家の外構を悩んでいるところでもあったので妻と二人して大変有意義な時間を過ごせました。惜しむならば…やはりもう少し先に来ておくべきだったか!
これからでも取り戻す!!

都心の雪

関東圏では久しぶりの雪。
大したことは無いだろうと思っていたが、思ったよりも降っていてこのままだともしかすると明日まで残るのではないか?というところ。
積もることは無いだろうと思っていただけに驚いています。

驚いているといっても、大学時代に山形で4年ほど過ごしたので私個人としては特に戸惑うことは無いのです。。。が、いくら個人が戸惑わなくても困ってしまうのが交通機関の乱れですね。
雪国で暮らしていていつも思っていたのが、関東圏では大した雪でもないのに簡単に交通機関がマヒしてしまうということに対する違和感です。豪雪地帯に対してみると、”降った”という認識すら持たれないレベルの積雪でなぜ、日本の首都が誇る交通機関がマヒするのか。

色々と考えることはあるのですが、やはり交通機関というよりはそれを利用する人の問題に起因するところが大きいように思う。
純粋に交通機関を利用する人の量が桁違いに多いというのももちろんあるし、その大量の人のほとんどが雪に対して馴れていない。戸惑った人たちが集まったことで相乗効果で遅れが広がっていく。
でも、実は雪に限った話ではなく、雨でも電車は遅れたりする。この場合、単純に”馴れてない”というだけでは説明がつきづらい気もするが。。。

結局のところ遅れやすいと思っている状況だからこそ、あわてて電車に乗り込もうとして駆け込み乗車が増える。それが電車を遅らせる大きな原因なのではないだろうか。
雨や雪のような天気の変化にも対応できるだけ余裕をもった行動を心がけたいところですね。

本音を言うと、雪の降るような寒い日はギリギリまで布団から出たくは無いのですが…。

2011年1月11日は

先日Webを徘徊していたらこんな記事が

2011年は「セクシー素数」の年
http://wiredvision.jp/news/201101/2011010517.html

素数。それは1と自分自身でしか割ることのできない孤独な数(プッチ神父)

なんとなんと。確かに11年1月11日は1が並ぶな~程度に思っていたけど、全てが素数という着眼はなかったなぁ。それにしても・・・ううむ、そうなのか。

実は、2011年1月11日。つまりは来週の火曜日なわけですが、その日は実は私の第2子の予定日であります。
嫁の通算何度目になるのかわからない「もうすぐ生まれそう」を聞くたびに「あぁ、まだだな」と思い続けてみれば、予定日的に考えるともう来週の話なんだなと、今さらながらびっくりしています。
こういうことは男はダメですね。嫁も実家に帰っているので、余計に実感がありません。実感がない割にいつ呼び出されるかわからないので始末が悪いです。

しかし、男兄弟で育った私にとって待望の女の子の予定。
すでに名前は決まっているのですが、1月11日がそこまで珍しい日だとすると「素子」というのも捨てがたいように感じます。とはいえ、割り切れない孤独な娘に育たれても困るのでやっぱり「素子」は止めておいたほうがいいですかね。

実際問題予定日通りに生まれるなんていうことはなかなかないものだけど、予定日に対してこういう情報があると少しドキッとする一方でうれしくなります。
頑張って予定日通りに生んで、しかも11時11分とかを目指してほしいです。1時11分とか深夜に呼び出されるのは、100%間に合わないので勘弁してやってください。

七夕

七夕でした。

前のエントリーである「最後の授業」。こちらでランディ・パウシュ教授が夢を持つことの大事さ、そして夢を実現するために行動することの大切さを教えてくださいました。

夢を思う時間があまりもてませんでした。。。。

最近余裕ないなぁ

食堂かたつむり

今日は仕事帰り、たまたま大学の後輩と同じ電車になって懐かしい話に花を咲かせていました。
たまには大学時代を思い出すのも楽しいもの。色々あったなぁ。
勉強のことは全く思い出せませんが・・・

懐かしいといえば、昨日映画の予告の中で

恋と声を失った女の子が
ふるさとに戻って食堂をはじめた。
その食堂に決まったメニューはない
お客様は1日1組
そして、食べた人に小さな奇跡が起きる

ん。。。どこかで見たような話だな~。食堂かたつむりみたいだな~って見ていたら

そのものズバリだった

食堂かたつむり
http://katatsumuri-movie.jp/index.html

おー!映画になるんだー!ってビックリ。
以前作者の小川糸さんがテレビに出て作中に出てくる「ジュテームスープ」を紹介していたのを思い出しました。なんだか懐かしい。久々に料理でもしてみるのもいいかもしれません。

唐突にそれは起こる

先週のことではあるが、会社の先輩が亡くなった。今日は会社を抜け出して弔問してきた。

元々無茶な働き方をする人で、私の中では常に会社にいるイメージの人。何をするにも全力という感じで道を歩く時も走るか小走りで常に動き回るような人だった。
余りにも動き回るのでサイボーグ説まで出るくらい。それくらい元気だった

昨年夏から白血病で入院しており、実を言うと経過そのものは順調。もう少しで退院というところで肺炎を併発してしまい、免疫力も低くなっていたところを突かれる形であれよあれよと言う間に病気が進行してしまったとのこと。

話を聞いた私ですらその唐突さに驚いたのでご家族の方はそれ以上だったに違いない。同僚のご家族が亡くなったことはこれまでもあったが、同僚が亡くなったのは初めての経験。
入社当初からお世話になった人であったのでなんとも、何とも言えない気持だ。

自分自身が歳をとり、そういうことに敏感になったからだけなのかもしれないが、昨年の夏に父が他界してからというもの、周りで不幸が続いているように感じてしょうがない。
こういうことが続くとどうしても気持ち的に弱くなってしまいます。
いなくなってしまった分まで、頑張らなくちゃいけないのにね。

総務省の手引きがなかなか勉強になる

小野和俊のブログ 総務省「事業計画作成とベンチャー経営の手引き」がすごい件
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50215344.html

ネットを徘徊していて上記、小野氏のブログにあった総務省による「事業計画作成とベンチャー経営の手引き」を見ました。

うん、素直に勉強になったと思う。まだ全部は読んでいないけど。私の勤める会社はそんな大企業でもなく、上場もしてないためか社内のいろいろなところがまだまだ。そういう意味で、ベンチャーの現場ってものと共通する部分が多いのかもしれない。そのためか、妙に共感する部分も多かった。

小野氏と異なり、経営的な視点で未だ私は見ることができていないが、本手引きの人材育成にかかわる部分(P137~P164あたり)に関しては経営者視点でなくても部下を持つものであれば十分参考になるのではないかと思った。

水にまず投げ込み、溺れそうになりながら泳ぎを覚えるのは、非常に古いやり方。そのようなやり方をする組織はノウハウの蓄積が進まず、大きな成果を出せない上、なにより有能な人材が擦り減らされていく。流出も続く。

(略)

ただ、上司のほとんどもおぼれながら覚えた結果、泳ぎ方が独学のことが多い。したがって、上司も結構へたで、教え方や見本の見せ方を知らない場合が多いと思われる

イタイ。身に覚えがあるような。。。「最近の新人は教えてあげないと動かない」とか言って、結局自分の指導力や教育の手法が誤っているだけではないだろうか?的な事は十分ある話で、私も改めないといけない。

それにしてもずいぶんと直球で書かれている手引きだ。今までイメージしていたお役所が発行した書類とはちょっと毛色が異なる内容に思えるが、もしかするとそれは私が知らないだけなのかもしれない。これらに関しても注視して行くことが自分自身の向上に役立てそうだ。

とりあえず、「自分はまだ経営者じゃない」とか「経営者を目指しているわけじゃない」とか考えずに、一通り見ておく事にしよう。経営者がどう考えているか。どう考えるべきかが多少紐解けるかもしれない。

特殊清掃

RSSに入れて前から時々読んでいるブログがある

特殊清掃「戦う男たち」
http://blog.goo.ne.jp/clean110

読んで字のごとく”特殊”な清掃を生業としている現場の話が出てくるのだが、読んでいると色々な事を考えさせられる時がある。仕事。生き方。残された人へのこと。色々な場面があって、色々な人がいる。当たり前のことなんだけど気づかされることもある。

自分自身の”生”はお世話になるような事態にはなりたくないが、周りに関しても。関与できる範囲であれば周囲の人間に関してもそんな事態にはならないようにしたい。

うん、なんだかゴチャゴチャ書いてみたけど、とりあえずしばらく連絡取ってなかった弟にあわててメールしました。正直、私と弟は仲が悪いわけではないけど、特に用がない限りとことん連絡を取り合ってないのでふと心配になった。もちろん生きていました。仕事のボヤキを私に言えるくらいであるから大丈夫だ。妙にしおらしくなってきたら注意しないといけないなぁ

なんて変な心配をしてしまった今日。いかがお過ごしでしょうか(なんじゃそりゃ)