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妻が欲しいものと私が欲しいもの

ホワイトデーが近いこともあったので、なんか欲しいものある?って聞いてみたら妻が珍しく「欲しいものがある」と言ってきた。
いつもだったら自分で買うので何かと思ったら、値段は対した事はないんだけど国内では売っておらず、輸入扱いだったようだ。

肝心の欲しいものはバレエのDVD。

Firebird / Les Noces [DVD] [Import]
BBC / Opus Arte (2002-10-22)
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クラッシック好きな妻が、高校時代に自分の好きな作曲家を聞き漁っている時に知り、店を探し回った挙句に取り寄せでレーザーディスクを買ったとの事。気になってはいたけど、たまたまAmazonでDVDの存在を知ったようだ。
そう言う事なら、とAmazonで早速注文。ちなみに私はバレエに関してはもちろん、クラッシックに関しての知識や情報も疎いので内容に関してはハテナだ。

便利になったものだ。
考えてみると私も大学時代とか、気になったCDを求めてお店を散策したり、場合によっては取り寄せてもらったりとした記憶がある。そうやって手に入れたものに対する思い出と言うのは、肝心の音楽を聴かなくなったとしても残っていてなかなかよい。
今では簡単に欲しいと思えばiTunes等でダウンロードできるしCDもAmazonで注文できる。
もちろん、古いものや希少価値の高いものはそうはいかないだろうけど、そういうのが欲しいのはごく一部の人たちだけだろう。

どうすればその思いを体験できるだろうか

作品そのものが素晴らしければ特に必要ない話なのかもしれない。
ただ、それを探したり手に入れたりするところまでを含めて楽しみたいとするならば、どうすればいいだろうか。
もちろんリアルの店舗に足を運ぶというのは選択肢としては確実な路線だ。ただ、どうせならネットを利用して、なおかつこのような体験を味わえる。そんな方法がないだろうか。

ネットを利用することで、「欲しいものを手に入れる」と言う行為はものすごく敷居が下がったと言える。
ここを無駄に敷居高くしてしまうと元も子もないので、やっぱり「欲しいもの」にたどりつく過程が代替の楽しみになるんじゃないかと考えた。
そういう意味においては自分の好みの音楽に関して興味を持っているモノどうしでキュレーションを行うようなサービス。または情報を共有するようなサービスがそれに当たるのかもしれない。
たとえばLike.fmのような。

Like.fm
http://like.fm/

でも、これらの情報をシェアすると言うのは結構面倒な作業でもある。
聞いているときに求めているのは音楽を聴くことであって、情報を公開したくて聞いているわけじゃないし(中にはそういう人もいそうだけど。「俺ってこういう音楽聞いてるイメージじゃん!」みたいな)
うまいこと、ハード側と組み合わせてやり取りができれば楽なんだけどな。
また、facebookにしてもそうなんだけど、”友達”と言うくくりだと、その友達が同じデバイスを利用していないと情報が集まらないと言うのは結構問題だと思っている。
音楽なら、もっと広く。全然見知らぬ人からのSuggestがあっても新たな発見があってとても面白そうなんだけどな。
ある意味マッチング??ううん、これはこれで面白そうですね

domo for iPhone リリース

先日紹介した頓知・の「domo」がAndroid版に続いてiPhone版もリリースされました

We release DOMO Today(頓知・日記)
http://d.hatena.ne.jp/roadracer/20110310/1299764281

と言うわけで早速インストールして試してみた

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domo専用のアカウントと言うものは存在しなくて、facebookのアカウントを利用してログインするようだ。

ログインすると、周辺のメンバーに関する情報一覧とそのメンバーがfacebookに登録されてある情報をカテゴリーとしたビュー
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また、facebookのカテゴリ一覧からの検索画面
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を確認することができる。
表示されたメンバーを選択すると、そのメンバーのfacebookへと行くことができる仕組みだ。
私はfacebookの登録情報が結構適当なので、イマイチ共通の関心ごとと言う形では多く表示はされなかった。それでも1~2の共通点を持ったメンバーを見つけることが出来た。
また、カテゴリーの内容を見ながら、「あ、それ私も興味あるな」という内容を見つけた。そういう形で自分のプロフィールを整理していく一つの使い方にもなるかもしれない

ちょっと気になったこと

近くってどこまで?
Launchで紹介されていた時には「このLAUNCHにいる人と結びつきたい!」ってニュアンスに感じた。そうなると私の中でのイメージではそれなりに狭い範囲をイメージした。
ただ、実際に使ってみると、この範囲は予想以上に広いように感じる。と言うのは、私自身が住んでいる場所が千葉の少し外れの方なわけなんだけど、周囲に今現在で96人いることになっている。
私の感覚で言うと、これはとても多い。
どういう距離感を周囲と言う形で設定しているのだろうか。
実際に「どーも!」ってやった相手がものすごく遠くにいる。もしくはカンファレンスに参加していると思って声をかけたら全然違うところにいた!なんてことになりそうだ。
ただ、これらは関心ごとにそのカンファレンスを設定しておけばいいだけと言えばそれまでなんだろうけど。
あぁ、そうだ。範囲を自分で設定することができればいいんだな。

パフォーマンス
私はiPhoneの3GSを使用しているのだが、ちょっと動作が重いように感じる。
特に電車の中でdomoを起動したときにはそれを顕著に感じた。いや、もしかしたら気のせいかもしれないが。
セカイカメラの時もそうだったけど、このあたりはまだハード側が追い付いていないだけなのか…。それともiPhone4では快適に動くのだろうか。
ちょっと旧機種を使っている身としては少し残念ではあるかな

それでも

周囲にこういう関心ごとを持った人たちがいて、その人たちがfacebookを利用している。
そしてその人たちは色々なポテンシャルを持っている!!
そういう可能性を感じることができると言うのは素直にいいことだと思うし、面白いと思っている。
もちろん、先にあげたようにこの「周囲」ってのがどれくらいかによって、「そりゃ、そういう人もいるよね」となるか、「近くにこんな人がいたんだ!」ってなるかは変わってくると思うけど。
このあたり、もう少し調べてみたいところだなぁとは思う。

とはいえ、facebookアカウントをあまりおおっぴらにしたくな人にとっては難しいのかもしれない。私自身、会社で起動して、その意味を思いなおして一度ログアウト。会社から出てから再度起動して遊んでみた口だ。
実際問題何かの懸念があるわけではないんだけど、ちょっとためらってしまった自分がいる。
うむむ

やっぱり自信がないからじゃないかと思っている

Facebookが匿名ユーザーに対して、アカウントの停止を行ったようで、今朝のFeedのいくつかはその話題で持ちきりでした。

Facebookの匿名性

元々Facebookは実名主義をとっているので、判断自体は決して間違いではないと私も思っています。
受け入れられないのであれば、それはFacebookの考え方にあわないということでしょう。

例えば、訪れた店舗に対してチェックインを行うことで得られるサービスもFacebookは用意しているわけですが、匿名状態でも結局はその上方が店舗側に行くわけなので、リアルの人間とその匿名アカウントは結び付けられます。
より、リアルと結び付けられるサービスを提供していくのであれば、実質的には匿名を保ち続けることが難しいわけですし、逆にそれを阻害してしまう可能性まであるかもしれません。
リアルの人間関係を再現、または構築するような、ネットワークとも言えますし、距離という概念をソーシャルから取り去ってしまうようなイメージを私は持っています。
これは、特に最近多いFacebookに対する書籍を読んでいるわけではないので解釈が間違っているかもしれません。
なので、考え方を押し付けるつもりはありませんが。

Twitterの匿名性

Facebookより前に日本で一気に広まった感のあるTwitter。こちらはFacebookとは違って、かなり匿名色が強いように感じます。匿名なだけではなく、一つのアカウントを複数人で動かしている場合もあって、ちょっと戸惑うときがあります。
自分はそのアカウントの示している人に対して話しかけているつもりでも、実際には違うかもしれない。公式アカウント!って大々的に書いてあるにもかかわらず、明らかに中の人は本人でない発言が飛び出した時には正直がっかりしたりもしました。
有名人のアカウントだけど、結局のところそれが本人であることを証明する手立てはない。アカウントが本物でもつぶやいているのは違うかもしれない。
逆にTwitter単体で個人をアピールするのは、Twitterを公の場で使っているような一部の有名人以外では難しい媒体ではないかと。

そう考えると、Twitterはやはりつぶやいている内容だったり情報にフォーカスして考えるのが今時点においては正しいように感じます。

ブログの匿名性

私が書いているこのブログ。また、Twitterは匿名で書いている状態です。
つまり、人によっては類推することができるかもしれませんが、私はそういう意味ではオープンにしていません。
オープンにしていない理由はいくつかありますが、たぶん根本的なところにある理由は自信がないんだと思います。
人にもよるとは思いますが、

  • 友人たちとの付き合い
  • 会社内での付き合い
  • 取引先/お客様との付き合い

は、結構わかれていて、そのどれもがリアルの私の交友関係であるにもかかわらず、結びつきの無い孤立したネットワークになっています。
ここのネットワークにおいての”私”は、特に何かしら演じているつもりはそれほどないのですが、全てを割り切って考えられるほど日常は単純でもないと思っています。
そんなわけで、これらネットワーク間を行き来する自分からの働きかけはほとんどありません。

ただ、そんな私もFacebookは実名で登録をしています。Facebookのプロフィール・ウォールにはTwitterやブログのアドレスやエントリーを載せているので、私を直接知っている人であればたどりつける状態にしました。
また、所属している会社に関しても書いていたりしています。合わせてLinkedInへも。
正直それは、私にとってはちょっとした冒険。数年前では考えづらかったことです。
ただ、そうしていくことがきっと自分自身に対してもメリットが出てくるのではないかと考えが変わったからです。

実際のところ、このブログでも書いている通り特段目立ったことをしているわけではないので、相も変わらずFacebookのFriendは皆無な状況ではありますが・・・。
ただ、Mixiのような足跡が残らないFacebookに載せると言うのは情けないことかもしれませんが勇気がいて、やってみれば開き直れるものなのかもしれません。

先に自信がないと書きましたが、結局のところ前に出てから自信がつくものなのかもしれません。
いずれ、このブログも実名で書く日がやってくるのかもしれません。
そうしたら、「あぁ、意識がそこまで変わってきたんだな」と生温かいまなざしで見守ってやってください。

あ、嘘です。もう見守ってください