投稿者「krote」のアーカイブ

いつも笑顔で

最近は休日出勤も重なって何かと忙しい。
その状態にあるとき、悪いことは重なるものでトラブルが良く発生する

いつも笑顔でいることはやっぱり難しい
でも、こんな時だからこそ自分は元気を出すべきなのではないかとも思っている。
自分がなぜ開発をしているのか。何を面白いと感じて何に意義を感じるのか

どうしても、眉間にしわが寄ってしまいがちな日々が続いているけれど、
今一度、思い直していきたい。自分一人で仕事をしているわけではないのだから。

辛いとき。
鼓舞できるような人になりたいものだ

地雷震の続編が始まっていた

たまたま本屋でウロウロしたら見覚えのある絵が

地雷震 diablo 1 (アフタヌーンKC)
高橋 ツトム
講談社
おすすめ度の平均: 5.0

5 飯田響也復活

地雷震は、1892~2000年の間に月刊アフタヌーンという雑誌に連載されていた漫画。高校~大学時代にはまってずっと読んでいました。
終わってしまった時、非常に残念に思いながらも終わり方にとても満足していたのを覚えています。

そんな飯田響也が復活。前作の登場人物もチラホラ出てくる中で、また新たな事件に立ち向かっていく姿はとても懐かしく、変わりの無いことに満足。
実にこれから先が楽しみだ。

どうなっていくのか。
事件の行方は
そして・・・相沢は・・・?
楽しみである

ぽにょ

金曜ロードショーでスタジオジブリの「崖の上のポニョ」がやっていた

らしい。

いや、知ってはいたんですが仕事も忙しいのとちょっとファンタジー過ぎて、この年になって見て面白いかな?って思っていたのもあって見逃しました。
そして、HDDに録画するのも忘れてしまったので、後から見ることもできません。

いや、どうしても見たいってわけでもないんですよ。
ただ、こういう状況に置かれるとちょっと気になるわけで…。いや、すごい見たいわけじゃないんですよ。ほんのちょっとだけ。ちょびっと。ちょっとね。

そんな風に思いながら会社から帰ってきたわけですよ。そしたら子供がテレビにくぎづけだったって。挙句の果てに「録画しておけば子供がよろこんだのにー!」って一言ですよ。

お父さん探し回っちゃうから。なんて。
うん、そこ。ネタないだろって言わない。

恵方巻き

f:id:krote:20100203223525j:image

節分ということで妻が恵方巻きを作ったので夕食にいただきました。
この”恵方巻き”という行事。愛知に住んでいたころも大学で東北に行っている間も全く縁のない行事で、就職して関東に来てからその存在を知りました。
Wikipediaを見る限りでは近畿地方が中心となった風習のようですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB

この”恵方”いうのも曲者で西暦の下一桁で方角が変わるようで、下一桁が0の今年は「西南西のやや右」という微妙な方角を指定されています。というか、西南西のやや右って”ほぼ西”じゃないでしょうか…。ずいぶんと細かい指示ですね。

さて、そんなこんなで恵方巻きをいただきました。なかなか大きいサイズで一気に食べきるという恵方巻きの作法を行うのはなかなか大変でしたが無事完食。ちょっとアゴがお疲れ状態になってしまいました。

残念ながら今年は豆まきは行いませんでしたが、来年は息子についに豆を投げつけられる!ってことができるのではないかと今から楽しみです。
今から来年の話をしていては鬼役をやる前に鬼に笑われるかな?その前に目の前の仕事をするという現実がもちろん待っているのですが。。。

ちなみに、明日の私の昼食も恵方巻きらしいです…。大きい太巻きが二本。風呂敷に包まれるのを私は見た…

モノはいいよう

会社の後輩で非常に報告の苦手な人がいる。

ここでいう”報告が苦手”というのは、いわゆる”報告をしない”というわけではなく”報告の仕方が悪い”。つまり、下手なのだ。
理論だてつつ、相手の求めている報告内容を的確に報告するというのは確かに難しいことで、だれしも失敗したことはあると思う。また、出来ているつもりで出来ていなかったり、時と場合によって誤った手順や内容を報告してしまい後悔することもあると思う。
ただ、この後輩に関して言うとほとんどの場合はうまくいってないように思える。

もちろん、”うまくいってない”という定義も難しいものだが、要領を得ない報告をされるとその報告内容の重要性によっては非常にもどかしいものである。端的に言ってイラっとしてしまうのだ。

報告に至るまでに集めた情報や報告の意味そのものは問題がなくても、言い方でここまで差が出てしまうのかとしきりに思ってしまう。
これはただの偏見かもしれないが、IT業界。特に開発者は自社内に籠ったり個人で行う仕事が多い分、コミュニケーション能力を鍛える場がない&鍛えようとしていないように感じる。
確かに社内において日常的に人前で話すことは少ないかもしれない。というか、そういう文化が根付いている会社であれば問題ないのだが、、、
自分自身も含め、もう少しコミュニケーションという技術を学ばなければならないなと、改めて思った。

最近ハマっていること

最近、ふとしたきっかけで始めた”ブラウザ三国志”というゲームにはまっています

ブラウザ三国志
http://www.3gokushi.jp/

実際に私がやっているのはmixi版ですが、Flashアプリケーションの多い中でajaxを駆使しての作りはとてもいい。つまり、恐ろしいことにiPhoneでも出来てしまうのです。
iPhoneで出来てしまうので、いつでもどこでもやろうと思えばアクセスすることができる。これは実に恐ろしいことです。気をつけていないと、不必要にやり続けてしまう。

対人戦を要素として含んでいるゲームにおいては、圧倒的にアクセス時間が物を言うために社会人には圧倒的に不利な立場。多くの社会人が大学生や高校生の時間の使い方に負け、去っていきます。
ブラウザ三国志も同じことがいえないわけではないですが、比較的一動作後のインターバル期間がどんどん長くなっていくのでその度合いというのは若干緩やかなように感じます。

とはいえ、やはりネットゲーム。社会人には社会人らしくのんびりと、あくまでゲームに仕事が影響を受けることがないレベルにとどめてやらなければなりません。
はい、時々気になってしまっている私は社会人失格なのかもしれませんが・・・。
iPhoneさえなければ・・・ネットから自由になれるはずなのに。本人の自制が一番大事なんですけどねぇ・・・

忙しいこと・忙しくしていること

今に始まった話ではないが、私は帰りが遅い。

悪い言い方をすると残業癖がついてしまっているのかもしれないという自覚はあるのだが、整理整頓・準備計画が大の苦手なところを露呈してしまっているだけなのかもしれない。
もちろん、自分自身が行う作業以外に周囲のサポートに回っている部分も多く、今日は結局それで遅くなってしまった。

ものの本には時間を決め、相手に”自分は時間がないんだから効率よく話を持っていかないとだめなんだよ”オーラを出さないとダメ。周りに自分がひきづられちゃうよ的に断る力を発揮するべき話がある。
また、ものの本によると残業なんてものはするもんじゃなくて、実力の無い人間がやるもんだ見たいな勢いを感じるところもあった。

もちろん、そういう側面もあると思う。
ただ、個人がどれだけクオリティを発揮させようが会社としての目線でものを考えた時に有用でなければ、結果としてはついてこないものになりがちであったりもする。
全ての残業を肯定するわけではないが、やることやらずに声高に”ワークライフバランス”を叫んだり”QOL(クオリティオブライフ)”を叫んだりしているのを見ているとちょっとどうかなと思ってしまう。

「私は過去、これだけ辛かった。だからよくない」

そういったって、今のあなたを作っている。今のあなたの地位を作っているのはその当時があったからこそなのではないか。
そう思えてしょうがない。

そんな独り言。

一歩を越えるために考えること・考えないこと

栗城史多著「一歩を越える勇気」を読んだ

一歩を越える勇気
一歩を越える勇気

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栗城史多
サンマーク出版
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おすすめ度の平均: 5.0

5 諦めない!
5 心に響く作品です
5 一歩を超える勇気
5 こんな登山家は初めて!
5 人とは少しだけ違うところ

私が著者を知ったのはYoutubeにアップされていた動画だ。それは、本書の中でも出てくるヒマラヤ山脈の一つ。ダウラギリへの登頂に関する動画。

それはすでに酸素が地上の3分の1。頂上の目印になっているのは過去にこの山で命を落とし、回収されないままでいる遺体というすさまじい世界。
そんな世界にわざわざ映像機材を持ち込んで、インターネットによる中継を試みようとする著者の考え方、これまでの半生が描かれています。

何を考えているのか

「登っている時に何を考えているのですか?」と聞かれることがあるが、「雪に埋まらないように硬い層を見つけて、沈まないように進む」など、目の前のことを淡々とやることしか考えられない(P.93)

実は、似たような疑問を私は日頃抱いていた。
それは、マラソンやトレランを走る人たち。練習で彼らは何時間も走り続ける。ウルトラマラソンの類に出る人たちはそれこそ練習で一昼夜走り続ける場合もあったりする。彼らは走っている時に何を考えているのだろうか。
たとえば3時間練習するとする。3時間もあれば色々なことを考えることができるだろう。練習している間、別のことを考えたりしているのだろうか?それとも景色を楽しんでいるのだろうか?

私も週末限定になってしまってはいるが2時間くらいは走っている。もう少し長く走りたいと思う気持ちと同時にその時間があれば別なことが色々と出来るなとも思ってしまう。たかだか2~3時間の練習しかしていない私ですらそう思うのに、それ以上の練習を日頃している人たちは走っている間何を考えているのだろうか?
実は気になっていた。

しかし、栗城氏のように淡々と目の前の作業を繰り返すというのが実際のところなのだろう。
考えてみると私の場合はラップタイム、フォームのチェック等を淡々と続けているだけ。実はその先なんてものは無くて、それが続くだけなのかもしれない。
逆に言うと、それだけそのことに集中しているともいえる。それだけ集中して取り組んだからこそそれが結果を得た時に人は喜びを感じるのかもしれない。もしかしたら自分も知らぬうちにはまり、だからこそ走っているのかもしれない。

ステージやスケールこそ違えど、何かに挑戦する。そして一歩を越える。
見習うべきことは多々ある。

ときには絵でも

六本木にある国立新美術館で開催されている「ルノワール伝統と革新」展に行ってきました

ルノワール―伝統と革新
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/renoir2010.html

いつも絵を見に行くとするとたいていは上野だったので、この六本木の国立新美術館に行ったのは初めてでした。美術館らしい変わったつくりの建物。目を見張りますね。
常設展示がないというのも個人的には驚きでした。

ルノワールというと

私の中でルノワールというと…

  • 印象派
  • 女の子の絵

ということばかりが思い浮かびます。
今回の展示ではもちろんそれら数々の絵はもちろんのこと、静物画や印象派から離脱した後の絵も多数展示されていてなかなか見ごたえがあります。
その数約80点というから見ごたえがあって当然ですね。

この展示。今月の20日から開催されたということを聞いていたのですごい混むのではないだろうか?としり込みしていたのですが、意外と適度な込み具合で落ち着いてみることができました。
今日行ったタイミングがいいのか。あるいは上野と違ってこちらは比較的すいているのか。また機会があったら行ってみたいところだ。

政権交代しても

なんだか連日政治に関するニュースはうんざりするものばかり。
しまいにはこんな発言まで飛び出している。

「宇宙人と称せられている首相だから、地球人と若干、同じ言葉でもニュアンスが違ったりする」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100122-00000223-jij-pol

首相と与党の幹事長が問題を起こしている事態にもかかわらず、本人は冗談のつもりかもしれないがこんな発言が平気で飛び出してくる。
政治家はおひざ元に行けば絶対的な権力を保持しているがゆえに多少の失言は素通りされていたのかもしれない。しかし、それが全国区になってもいつまでもお山の大将な気分でい続けている政治家が多すぎやしないだろうか。自民だろうが民主だろうが、政治家の言動が軽すぎる。

与野党が入れ替わっても与野党間でのやりとりの内容は特に変わらないもの。
結局政党が違っても、政治家はその政党間を行き来しているわけで結局のところ同じなのかもしれない。

なんだか、あまりにもがっかりしすぎてコメントが難しい。
言葉にないですね