Facebookが匿名ユーザーに対して、アカウントの停止を行ったようで、今朝のFeedのいくつかはその話題で持ちきりでした。
Facebookの匿名性
元々Facebookは実名主義をとっているので、判断自体は決して間違いではないと私も思っています。
受け入れられないのであれば、それはFacebookの考え方にあわないということでしょう。
例えば、訪れた店舗に対してチェックインを行うことで得られるサービスもFacebookは用意しているわけですが、匿名状態でも結局はその上方が店舗側に行くわけなので、リアルの人間とその匿名アカウントは結び付けられます。
より、リアルと結び付けられるサービスを提供していくのであれば、実質的には匿名を保ち続けることが難しいわけですし、逆にそれを阻害してしまう可能性まであるかもしれません。
リアルの人間関係を再現、または構築するような、ネットワークとも言えますし、距離という概念をソーシャルから取り去ってしまうようなイメージを私は持っています。
これは、特に最近多いFacebookに対する書籍を読んでいるわけではないので解釈が間違っているかもしれません。
なので、考え方を押し付けるつもりはありませんが。
Twitterの匿名性
Facebookより前に日本で一気に広まった感のあるTwitter。こちらはFacebookとは違って、かなり匿名色が強いように感じます。匿名なだけではなく、一つのアカウントを複数人で動かしている場合もあって、ちょっと戸惑うときがあります。
自分はそのアカウントの示している人に対して話しかけているつもりでも、実際には違うかもしれない。公式アカウント!って大々的に書いてあるにもかかわらず、明らかに中の人は本人でない発言が飛び出した時には正直がっかりしたりもしました。
有名人のアカウントだけど、結局のところそれが本人であることを証明する手立てはない。アカウントが本物でもつぶやいているのは違うかもしれない。
逆にTwitter単体で個人をアピールするのは、Twitterを公の場で使っているような一部の有名人以外では難しい媒体ではないかと。
そう考えると、Twitterはやはりつぶやいている内容だったり情報にフォーカスして考えるのが今時点においては正しいように感じます。
ブログの匿名性
私が書いているこのブログ。また、Twitterは匿名で書いている状態です。
つまり、人によっては類推することができるかもしれませんが、私はそういう意味ではオープンにしていません。
オープンにしていない理由はいくつかありますが、たぶん根本的なところにある理由は自信がないんだと思います。
人にもよるとは思いますが、
- 友人たちとの付き合い
- 会社内での付き合い
- 取引先/お客様との付き合い
は、結構わかれていて、そのどれもがリアルの私の交友関係であるにもかかわらず、結びつきの無い孤立したネットワークになっています。
ここのネットワークにおいての”私”は、特に何かしら演じているつもりはそれほどないのですが、全てを割り切って考えられるほど日常は単純でもないと思っています。
そんなわけで、これらネットワーク間を行き来する自分からの働きかけはほとんどありません。
ただ、そんな私もFacebookは実名で登録をしています。Facebookのプロフィール・ウォールにはTwitterやブログのアドレスやエントリーを載せているので、私を直接知っている人であればたどりつける状態にしました。
また、所属している会社に関しても書いていたりしています。合わせてLinkedInへも。
正直それは、私にとってはちょっとした冒険。数年前では考えづらかったことです。
ただ、そうしていくことがきっと自分自身に対してもメリットが出てくるのではないかと考えが変わったからです。
実際のところ、このブログでも書いている通り特段目立ったことをしているわけではないので、相も変わらずFacebookのFriendは皆無な状況ではありますが・・・。
ただ、Mixiのような足跡が残らないFacebookに載せると言うのは情けないことかもしれませんが勇気がいて、やってみれば開き直れるものなのかもしれません。
先に自信がないと書きましたが、結局のところ前に出てから自信がつくものなのかもしれません。
いずれ、このブログも実名で書く日がやってくるのかもしれません。
そうしたら、「あぁ、意識がそこまで変わってきたんだな」と生温かいまなざしで見守ってやってください。
あ、嘘です。もう見守ってください