つぶやいてもセカイは変わらない

少し前、仕事で別の部署の人と話をした。私の部署で作ったアプリケーションをその方の部署でお客様へ提案するような。そんな関係の部署の方である。

今度納めるアプリケーションの機能仕様を検討している段階で、用意されているパターンから大きく外れるような機能仕様を書いてきたのでそこを指摘した。それに対してその方の反応が
「こういう形じゃないと困る」
「こんな風な動きをしてほしいという要望は前から出していた」
「あなたのところまでは要望が言ってないかもしれないけど、末端ではそう話をしている」
的なものだった。

実際のところ、本当にそうかもしれないし、その方の上司が話を潰していたのかもしれない。私の部署がその部署の方々の要望というものを、全てくみとれているかというとそんなことはないだろう。
ただ、本当にその要望は実現できる方向での発言が行われたのだろうか?
結局のところ、要望を上げろと言われて要望を上げた程度のレベルか、具体的な検討もなしにただつぶやいただけなのではないだろうか。

つぶやいているだけでは何も変わらない

もちろん、変わる場合もあるとは思う。例外はつきものだ。ただ最近、随分と色々な理屈をつけたり、
「あーすればいいのに」
「こうだからたぶんダメなんだろうな」
とつぶやいて、最近はやりのワークライフバランス的な論理で話を終わらせてしまう人が増えたように感じる。

結局のところ、要望を言うということは自分にとってプラスに返ってくる内容ならば、ちゃんとその要望が通るような行動を取らなければいけない。要望を言うことが成果なのではなく、要望を実現した結果、当初想定していた(もしくはそれ以上の)恩恵を受けることを成果に位置付けるべきではないか。

  • 上司がダメならば、そのダメな上司をどう使えば要望が通る方向で話ができるのか
  • 要望にとって障害や懸念しなければいけないことは何で、事前に排除するために手を打てることはないだろうか
  • そのメリット・デメリットをどう伝えていけばいいのか

あらゆる手を尽くしたうえで、最後の最後が相手の気分やその時の運になってしまう。そういう不確定要素に起因するところまで持っていきたい。
もちろん、自分の思っている”要望”のレベルに応じてどの程度までこれらの手を尽くすのかというのは差が出てくるところだとは思う。
ただ一方で、趣味ではなく仕事でやっているのだということも考えるべきではある。その要望が通らなかった場合と通った場合とでの、仕事としての天秤がちゃんと掛けられているのか。

偉そうなことをのたまったわけではあるが、私自身ちゃんと出来ているかと言われればまだまだ。未熟もいいところだ。人を評価すればするほどに自分の未熟さを思い知る。そういう意味では今回のエントリーは自分自身に対しての戒めに近いのかもしれない。

最近、Twitterがはやっていることもあるせいか、リアルでの発言まで

  • 本当に発言しているのか?
  • とりあえずつぶやいているのか?

というのが不明確になっているように感じ始めた。
でもね、ちゃんと言ってこない限りTLをチラ見するかもしれないけど、ちゃんとメッセージ送ってくれないとフォローするとは限りませんよ。つぶやきなのだから。。。と。

余談ではあるけど、冒頭のやり取り。
要望の内容が話をしているうちに矛盾が出てきて空中分解しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください