後悔しないなんてできない

親戚に不幸があったために早朝に山梨へ出発。夜に帰ってくるというちょっと強行軍でした。

実はここのところ身内ばかりではないですが、周りで不幸が続いています。話を聞けば聞くほどどこかしらで自分と重ね合わせてしまえる箇所が増えていき、その分涙腺が緩んでしまい歳を感じます。
中には息子とほとんど変わらない年頃の子供の母親がなくなったという話も。色々と考えさせられます。

後悔しないなんて

よく「後悔しないように生きる」って言葉があるんだけど、自分個人。純粋に一人でいるのであればそういうことはできるのかもしれないけど、基本的に誰かしらと関わってみんな生きている。
もちろん、それは時期もあるのかもしれないけど、特に子を持つ親にとって子の成長を見ることができないというのはどういう心掛けをして日々を過ごしていたとしても後悔の種になってしまう。
これは、勝手な周りの思い込みであるかもしれないけど、子供が自分がいないことでさみしい思いをして過ごさないだろうか。いないことでいじめられないだろうか。まがった方向に育ってしまわないだろうか。
パートナーを信じる・信じないの前に考えてしまうことでもあると思う。

もちろん、「後悔しないように生きる」という心掛けで日々を過ごすこと自体を否定しているわけじゃない。
ただ、その「後悔しない」というのはなかなか難しい。子供のことを思うととても難しい。この世界で生きている以上自分にとって不条理なことは起こって、ともすれば自分の命を落とすことになってしまう。
だからこそ、「後悔しないように生きる」ためにしていることの、そのメリットとデメリットとを今一度考える必要があると思う。自分にとって、かけがえのないものは何なのか。

そんなことを改めて教えられたような気がする一日だった。

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