つぶやく人々

最近になってTwitterを再開した。
実はこのTwitter。2年くらい前に仕事先の方から話を聞かされ、興味本位に一度使ってみたはいいものの、あまりなじめずに放り投げてしまっていたのだ。ここ最近、メディアでも取り上げられるようになったし、iPhoneでどこでもつぶやくことができるということで再びログインすることになった。
しかし、相変わらず使いどころがピンとこない

そもそもなぜつぶやくのか

Twitterはブログよりも気軽に、ゆるく人とつながることができるということに特化したようなツール。そういう形で紹介されている。実際のところ、Twitterでつぶやいている内容というのは人それぞれだが、たいていは本当にただのつぶやき。特に意味がないものであることが多い。
ただ、人によっては熟慮に熟慮を重ねたうえでつぶやく人もいる。これはそれぞれの人間性があってそれはそれで面白いとは思う。ただ、自分がつぶやくとなるとイマイチやはりピンとこないのだ

難しく考える必要はないのだろうけど、実際に”ふと思ったこと”を書こうとすると、

  1. iPhoneをとりだす
  2. Twitterを起動する
  3. たまっているつぶやきを眺める
  4. 文字入力する

という形で何段階もの手順を踏まなければつぶやくことができない。これは私にとってはとても面倒な作業になる。なにせ、”つぶやきたい”だけなのだから。ブログのように意見を考えて書いたり、人が記事を見てどう思うだろうか?分からないことがあった時の解決策として何か書くことができないだろうか?周りの人はどう思っているのだろうか?等々、意図があるわけではないただの”つぶやき”。それをするにしては手順が多すぎると感じてしまうのだ
音声入力でもできれば面白いかもしれないんだけどね。”フォント”じゃなくて”生の声”のほうが気持もこもるだろうし。もちろん言語の壁が恐ろしく高くそびえたっていそうですが…。

それでもつぶやく人々

とはいっても、通勤中の空き時間や、ふと空いた時間に適当に私はつぶやいています。なにはともあれ続けてみたら変わるかな~?などという根拠のない話から。
そうしてみていると、つぶやく人はものすごい量をつぶやいていることが分かる。もはやチャット状態だ。話し相手がいるのだろうが、その話し相手を私がフォローしていないので、私から見るとものすごい独り言を言っている怪しい人物になってしまっている。
相手がいるのであれば分かるのだけど、こういう人は相手がいなくてもそれなりの量をつぶやいている。そういう人に関して、どういうタイミングでつぶやいているのかが私には不思議だ。もはや、コミュニケーションのメインとなるインターフェースが口ではなくTwitterになっているのではないだろうか?もしかしたら、いちいち私のようにiPhoneやキーボードで入力するわけじゃなくて、楽につぶやくことができるインターフェースがあったりするんじゃないか?とすら思えてきてしまう。

友達同士が集まっても、そこに会話なくひたすらみんな携帯に向かってメールを打っているような姿が思わず思い浮かんでしまうのだが…。はたしてどうなんだろう。ただ単にTwitter依存症になってしまった極端な例を見てしまっただけなのだろうか。それとも、今巻き起こっている一種のブームの中ではそれが普通なんだろうか。
それはそれでさみしい気もする

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