食材のカタチ

先日、実家に遊びに行った際に母から手作りのケーキを貰った。親戚にも好評のニンジンのすりおろしとクルミが入ったケーキ。実家に住んでいたころによく食べたものだ。家に帰り、もらったケーキを嫁と食べていたときに
ガリッ
と、何か硬いものを噛んでしまった。出してみるとクルミの殻だった。それを見た嫁が

「なんでクルミの殻が入ってるんだろう?お母さん、クルミ割るところから作ってるんだ。すごいね」

なるほど、それはすごいことなのか。確かにクルミをそのまま殻ごと買うよりも、今では割った中身だけを売っているので圧倒的にそちらのほうが楽だ。実際のところお店で探した場合でも、”クルミ”として売っているのは割った状態のものがパックされたもので殻はついていない。殻つきはわざわざ”殻付きクルミ”として売られている。
私自身は子供のころから母がケーキを作るときにはひたすらクルミ割りを手伝わされたりしていたので、”クルミを割って使う”という行為そのものに何の疑問も持っていなかった。

別にそれが悪いことじゃないよ

あらかじめ言っておくと、割られたクルミは便利でいいものだと思う。実際に私は子供のころ、積み上げられたクルミをひたすらに向き続ける作業が苦痛で、一時期クルミに対して嫌悪感を覚えた時期もあった。見たら気持ちが悪くなってしまうくらい。
クルミに限った話ではないけど、自然の木の実や食材の多くはすぐに食べられる状態ではなくひと手間かかるものが多い。クルミに関して言ってしまうと、殻つきでは各家庭に割るための金具やらが必要になってしまう。ちなみに私の実家ではこんなようなものを使っていた。こんなに高いものではないと思うけど

輸送コストを考えても割ったものの方が安く済むだろう。それらを考えてもやはりむき身の物のほうがメリットはある。男手があるならばまだしも、お菓子作りでクルミを使う時に一つ一つ割って使うのはなかなかの苦労だ。

それでいいのだろうかという漠然とした不安

私も知らないことばかりだ。ただ、知っていないと生きていけないというたぐいのものでは無いと思う。少なくとも現代社会においては。便利なものはどんどん使っていったほうがいいし、面倒なことでストレスをため込んで周りに迷惑をかけるくらいなら、ゆとりを持った形の行動をとったほうがいいと思う。
一方で、そういった加工した状態のものばかりが出回ってしまうことに対する「本当はどんな形なのか」を知らないままでいいのか?という漠然とした不安がある。これは加工した食材だけでなく、たとえば野菜がどんなふうに畑で採れるのか?ということにも言えると思う。

この話は別に料理に限った話ではないと思う。仕事にしても、効率化を推し進めていく中で、非効率な作業を外注化する。そしてその業務に対しての知識がない状態での業務が続き、いざとなった時に困ることになる。
かといって、それらを恒常的に教育していくとなるとそれはそれで非効率な気がしていく。
さてはて。困ったものだ。まだまだ考察が足りないですね

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