栗城史多著「一歩を越える勇気」を読んだ
サンマーク出版
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諦めない!
心に響く作品です
一歩を超える勇気
こんな登山家は初めて!
人とは少しだけ違うところ
私が著者を知ったのはYoutubeにアップされていた動画だ。それは、本書の中でも出てくるヒマラヤ山脈の一つ。ダウラギリへの登頂に関する動画。
それはすでに酸素が地上の3分の1。頂上の目印になっているのは過去にこの山で命を落とし、回収されないままでいる遺体というすさまじい世界。
そんな世界にわざわざ映像機材を持ち込んで、インターネットによる中継を試みようとする著者の考え方、これまでの半生が描かれています。
何を考えているのか
「登っている時に何を考えているのですか?」と聞かれることがあるが、「雪に埋まらないように硬い層を見つけて、沈まないように進む」など、目の前のことを淡々とやることしか考えられない(P.93)
実は、似たような疑問を私は日頃抱いていた。
それは、マラソンやトレランを走る人たち。練習で彼らは何時間も走り続ける。ウルトラマラソンの類に出る人たちはそれこそ練習で一昼夜走り続ける場合もあったりする。彼らは走っている時に何を考えているのだろうか。
たとえば3時間練習するとする。3時間もあれば色々なことを考えることができるだろう。練習している間、別のことを考えたりしているのだろうか?それとも景色を楽しんでいるのだろうか?
私も週末限定になってしまってはいるが2時間くらいは走っている。もう少し長く走りたいと思う気持ちと同時にその時間があれば別なことが色々と出来るなとも思ってしまう。たかだか2~3時間の練習しかしていない私ですらそう思うのに、それ以上の練習を日頃している人たちは走っている間何を考えているのだろうか?
実は気になっていた。
しかし、栗城氏のように淡々と目の前の作業を繰り返すというのが実際のところなのだろう。
考えてみると私の場合はラップタイム、フォームのチェック等を淡々と続けているだけ。実はその先なんてものは無くて、それが続くだけなのかもしれない。
逆に言うと、それだけそのことに集中しているともいえる。それだけ集中して取り組んだからこそそれが結果を得た時に人は喜びを感じるのかもしれない。もしかしたら自分も知らぬうちにはまり、だからこそ走っているのかもしれない。
ステージやスケールこそ違えど、何かに挑戦する。そして一歩を越える。
見習うべきことは多々ある。