はてなブックマーク上でにぎわっていた、経営の神様といわれるピータードラッカーが晩年に書いたと称される詩を読んだ
ピーター・ドラッカー95歳の詩(Apelog)
もう一度人生をやり直せるなら・・・・今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
- P.F.ドラッカー 享年95歳-
言葉としては確かにいいものだと思った。なるほど、そうなのかもしれないなって。ただ、ドラッカーが書いたといわれて読んでみて思ったのは違和感である。
本当にドラッカーなのか?
ドラッカーの著作に関しては数多くあるので、読んだというレベルまで読んでは無いが、あの人がこういうことを言うのだろうか?逆にあの人だからこそこういう締めくくりになるのだろうか?本当に?
道を極めた時に最終的にそういうものが見えたのだろうか?とても興味をそそられた
詩というものは、訳者によって大きく印象が変わったりするのでやはりこういう時には原文を探してみるのが一番だろうと思って探してみた。
ところがこれが見つからない(捜索時間3分であきらめる男)
もちろん、探し方に問題があるのかもしれないが、あそこまで有名な人の詩であれば軽く探せば出てきそうなものなんだけど…見つからない。原文が見つからないのにも関わらず、ここまで多くの人がこの詩をドラッカーのものとして話をしていることに対しても違和感を感じる。
種明かし
原文探しをあきらめた私は、「同じこと考えてる人いるんじゃない?」とプログラムのライブラリを探すような気分で検索。ヒットしたところに、本件に関して詳細なまとめが書かれていた
「95歳の老人の詩」の本当の作者(サイコドクターぶらり旅)
疑問をもったらまず原文にあたってみるのが基本なので、いろいろと検索して調べてみたのだけれど、奇妙なことに、いくら探してもドラッカーの原文はどこにも見つからない。ただし、非常によく似た文章がナディーン・ステアという85歳の女性の作として流通していることがわかった
うん、全く同じ行動ですね。
詳細に関しては私がここでグダグダ言うよりはよっぽど丁寧に説明されているので是非ご一読を。
端的に言うと、引用させていただいたナディーン・ステアという方かどうかは不明で、もう一人、ドン・ヘロルドという候補がいるようです。
このドン・ヘロルド。面白言葉をたくさん残していますね
- 貧乏には、楽しいことが沢山あるに違いない。でなければ、こんなに沢山の人が貧乏であるわけがない
- 女というものは、下着とともに、恥じらいの心をも脱ぎ去るものだ。
- この世でなにが悲しいといって、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない。
- 愚かであることは一生続く。無知は直る可能性がある。
ふむぅ。ちょっとひねくれ者?確かにこの人が書いた文章となると、当初の詩に対する見方はずいぶんと変わるかもしれない。なんだかとてもすっきりした
こういう言葉をめぐった人物像のおっかけもなかなか面白いですね。