今日は成人の日ですね。新成人の皆さんおめでとうございます。
今年成人ということは、1990年生まれになるのかな?
新成人人口は124万人(総務省)
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/topics/topi492.htm
ちょうど総務省・統計局にデータがあった。見てみると、今年の人数がどーのこーのと言うよりもその推移に目がいってしまう。これから少し新成人は増えていって、そこからはひたすらに若年人口が減っていく構造がもろに見えてしまって、せっかくのおめでたい雰囲気が台無しだ。
最近、日経新聞の朝刊で「三度目の奇跡」と題した特集がされている。一つ目の奇跡は「明治維新」。そして二つ目の奇跡は「戦後の復興」になる。日本が現状の停滞感・閉塞感から大きく抜け出すには?ということだろうか。
労働力人口という観点から見てみると、先に書いたとおり現在の定義における”日本人”は少子高齢化をひた走ることになっている。そうなると単純に考えるのであれば、頑張って子供を増やすか外から受け入れるしか労働力を補うことはできない。
もちろん、数が増えればいいのか?と言うとそういうわけでもない。現状の日本では学力の低下が叫ばれて久しい。日本では製造現場の効率化は進められてきているが、マネジメント分野に関しては生産性が先進国の中では大幅に見劣りするという話も聞く。
つまり単純に数を増やすのではあまり意味がなく、その質を上げることを考えなければいけない。だが、のほほんとした「競争をしたら負けた子がかわいそうじゃん」みたいな考え方がのさばっている以上はなかなか難しい気もする。
恐いのが、こういう話が学校だけじゃなくて企業内でも言えることだ。
“現状維持”を目標にしていてなんとなく会社に来ている。頑張ればもう少しスキルアップも出来なくはないが、あんまり頑張っているとなんだか社畜っぽい。ワークライフバランスに反する。まじめにやってるなんてかっこ悪い。
そういう考え方を否定するわけじゃないんだけど、今の日本で、その考えのままでやっていけるんだろうか?そんな人を雇うメリットはあるんだろうか。
私がいるIT業界に関して言うと本当はもっと切実な問題のはずだ。外にはいくらでも有能なリソースがいる。日本人が今、日本で仕事ができるのは、相手が日本の企業であり、かろうじて”日本語”が出来るからではないだろうか。今後、日本企業がグローバル化していくうえで”日本語”が必要とされなくなれば、簡単にその優位点はなくなってしまう。その時、今の労働者はどうなっているだろう。
ちょっと今の時点においては大げさなのかもしれないが、すぐに大げさと言うわけでもないという状態になるのではないかと思っている。その中で出来ることは何か。新成人と言うわけではなく皆が考えなければいけないことだろう。