何のための英語か

今日(12/10)の日経新聞に載っていたコラムを一部抜粋させていただく

(略)
ノーベル財団のサイトでネット中継を見た。生い立ちから賞の対象になった発見まで、本当に全部日本語である。英訳が後ろに映写される。
出発する前に益川さんは「英語がしゃべれなくても物理は出来る」と語ってたけれど、中継を見終えた当方の感想は「日本語が出来ても物理はわからない」。特に「四元クォークモデル・CP対象性の・・・・
(略)

英語がしゃべれなくても。日本語がしゃべれても。結局のところ、それはあくまでインフラでしかなく、別にそんなことは目的ではなくあくまで手段。本来の目的を忘れて、それを伝えるための手段である”英語”にばかり気をつけていては本末転倒だよ、、、と受け止めた。
今、私が勤めている会社で直接英語で話さないといけない場面はほぼ皆無といっていいだろう。比較的新しい技術に関して調査や勉強を行うときには海外のサイトを参考にすることは多々あるが、所詮はネットである。いくらでも翻訳をかけて想像をすることは出来る。英語が出来れば変な解釈をしてしまう危険がないだとか効率がいいということはあっても、必要条件ではない。ニュアンスが分からないときも多いが、なんとなく言いたいことは分かる。気がする。
その中で英語を勉強しようと思ったときに付きまとうのは「何のために?」だった。
同じ業界でも英語をうまく使ってアウトプットしている人もいる。私の知っている中では、技術情報を掲載しているブログの翻訳を手がけている方もいる。以前お世話になったことがある。

Chica’s Blog
http://blogs.wankuma.com/chicasharp/

これはとてもすごい。いいことだと思った。7月以降、更新がないのが残念だがこういう英語の活用方法もあるなぁと思った。私のレベルでは、書いてあることを想像することは出来ても確信はまったく出来ないつたないものだし。
私が英語をもう一度勉強しようと思ったのは、「知りたいこと、聞きたいことが聞けない」という事。アメリカにMicrosoftのイベントで行ったときに特に痛感したこと。ただ、そんな機会は今のところ予定されていない。特に会話となるとまったくといっていいほどあてがない。
そうなると、何か作らないといけない。うむむ。

先日の日経マネーイベントでマネックスの内藤さんから頂いた本にも実に耳が痛いことが書かれていた

内藤忍の「好き」を極める仕事術 (講談社BIZ)

内藤忍の「好き」を極める仕事術 (講談社BIZ)

なんとなく「この目標を達成したら、たぶんいいことあるんじゃないかな」くらいに思って、勉強に救いを求めている人が多いような気がしてなりません。
「勉強が好き」なのか、
「勉強をしている自分が好き」なのか、それとも、
「勉強をしようと考えている自分が好き」なのか。
その先にある夢まで思いが至らないままに、世の中でいいと言われている勉強法にすがりつく。そんな構図が見えるのです。

痛い!!耳が痛すぎる。耳鳴りしそう。

模索する日々は続きそうだ。

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