今更ながら鬼滅の映画を見てきた

少し前に子どもたちと妻は見に行っていたんだけど、そのときは私は末娘の相手をしておりお留守番。
子供らが「また見たい!」と駄々をこねるので、しょうがないお父さんも行くか!ということで見に行ってきました。

基本的に原作を読んでいるので流れはすべて把握済みではあるものの、聞いていた通りの映像クオリティ。
ちょっと無限城はやり過ぎな感じがしないではない。。。
鳴女の血鬼術はなんというか、便利すぎるというかどこまであれ広げられるんでしょうね。。。やはり無限なのだろうか。
自由自在に動かすことができるのであれば、ずっと閉じ込めてしまえばいいのにと思ってしまったのは蛇足以外の何物でもないかもしれない

戦闘シーンもさすがとしか言えないのだけれど、戦闘シーンがかっこよかっただけに回想シーンが多くてちょっと気になってしまうところはある。

猗窩座の回想シーンや背景に関しての描写が多かったわけだけど、許される・許されないという話とは別軸の話として、相手の背景という物があるという点。
ただ、これは戦っている当事者である義勇や炭治郎は知り得ぬ話ではあるんですよね。
そう思うと、これは視聴者である我々にしかわからないわけで、最終的に自決するという行動を取った猗窩座を見た炭治郎や義勇が頭の中「ハテナ」になるだけ。
そういうことが伝えたかったのだろうかとちょっともやった

帰りの車の中で子供らと、無限城は三部作ということで、残りの2作品がどういう配分で来るのか。やっぱり回想シーンがてんこ盛りなのだろうかで盛り上がった。
きっと「おいたわしや兄上」だよ!と。

そうだよね。多分

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