なぜリーダーは半歩前なのか

姜尚中さん著「リーダーは半歩前を歩け」を読んだ

リーダーは半歩前を歩け (集英社新書)
姜尚中
集英社
売り上げランキング: 2818
おすすめ度の平均: 3.5

4 混迷の時代に
5 読書の力  文学の底力
4 姜氏青春の総決算。内容不足は否めないが、金大中氏の言葉は含蓄に富みます
3 物足りない!
5 金大中

そもそも何で半歩前なのか?
リーダーであるのならば、一歩も二歩も前を進んでいったほうがいいんじゃないのか?リーダーシップってヤツを発揮しよう!って感じじゃないの?って疑問がまず第一に思いつく

アイデンティティーが分散している以上、一つの目標に向けてすべての人を動員するのは難しい。だから、微妙に行きつ戻りつし、人々の文脈を読みながら、柔軟にリーダーシップを発揮していくのがベストだと考えたのです(P.43)
いま求められているリーダーは、「カリスマ」ではありません。十歩前を行く人でもない。たった「半歩前」なのです。(P.45)

つまり、あまり先行しすぎると周りが付いていかないということから半歩前という表現を使っているんだろう。
草食系だとかゆとりだとかあれこれ言われるようになった昨今。確かに、半歩前くらいじゃないと”ついていこう”という気になる人が少ないのかもしれない。これはこれで分かるような気もする。
ただ、一方でリーダーがそれでいいのか?半歩程度前でいいのか?といわれるとそうでもないと感じてしまう。もちろん、私が出来ているという意味ではなくだが。

そもそも、半歩前とか一歩前というのはどれくらい”前”何だろうか?
少なくとも、フォロワーがリーダーの向かう先が間違いなく”前”であると認識できる範囲でなければいけないし、到達可能であると認識できる範囲でなければいけない。
それは結局のところフォロワーによって見える範囲というものは変わってくるのであって、リーダーに要求されるのは自分が見ている”前”の中でフォロワー毎にどんな”前”を見せるのか、ということが重要なのではないかと思う。

なるほど、結局のところ最初に戻って”カリスマ”的なリーダーではなく、もう少し身近に感じれるリーダーということだろうか。
半歩前という表現を使われると多少違和感を感じるが、組織がある特定のカリスマによってぐいぐい引っ張っていく形態から変わっていくという内容。
あまり、社内に”カリスマ”的な人がいないので、私にはどうもイマイチピンとこないのが正直なところである。
カリスマでも何でもない私には、私に出来うるリーダーを目指すことになるしかないのだから。

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