「散歩哲学」を読んだ

島田 雅彦著「散歩哲学」を読んだ

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名前からすると哲学書なのかと思ったが、読んだあとにAmazonのジャンルを見るとエッセイとなっていて、なるほどな、と思う。

哲学的な何かを考えるというよりは、散歩をしながら思索をしている内容を本にしたような印象を受ける。

これまで著者が暮らしてきた海外生活と東京下町や多摩あたりを思索しながら散歩するわけだが、途中からひたすら飲み歩きの内容になってしまい、酒を全く飲まない私としては全然共感のしようがない内容となってしまった。

酒飲みでかつ、関東在住であればまた受ける印象も違うのかもしれない。

散歩ができていない

考えると、散歩ってあまりしていないな、と思う。

本書で書かれているような、旅行先の通りをメインストリートから細道まで制覇するような歩き方というのは、歩くことそのものが楽しいか、何かを探して、宛もなく彷徨うことを良しとしないと行けない。

それは非常に魅力的な話ではあるものの、それができるようなのんびりとした旅は正直すぐには出来ない気がしている。

旅行に行けば観光地を巡ったり、何かしらの体験をしたりとしていればあっという間に旅行の日程が終わってしまう。
宛のないほっつき歩きというのは、余裕がないと出来ないものだ。

それでも、そうすることでしか出来ないであろう出会いや経験みたいなものは、過去を思い返してみると自分もないわけではないし、まるで映画の主人公にでもなったかのような一期一会をしてみたいとも思うものだと思う。

歩きながら考える

考えてみると、歩きながら考えるということをあまりしていないな。

私が走り始めた一つの理由として、頭の中を真っ白にするということがある。
あれこれごちゃごちゃと考えがまとまらないときにリセットするわけだ。

そうすることで、空っぽになった頭で物事を考えるように・・・とは必ずしもいかず、疲れて眠気が来てしまうということもある。
ただ、頭を切り替えるという意味においては有効だと思っている。

そんなわけで、何も考えていないわけではないけれど、考えるために歩くというよりは考えないために走るということのほうが圧倒的に多い。

夏に旅行を計画しているので、少し散歩を楽しむことができればと思う。

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